2017年12月30日土曜日

 「サヴァイングカスライフ 番外編」 (ライブ喫茶 亀 メルマガ十二月号) 片岡フグリ


中学時代にこんな事があった。

地元の中心部にイオンレベルの大型スーパーがオープンし、
当時結成していた組織へ(学内、学外問わずパンツが見え得るロケーション、スポットを発見次第、相互に報告しあうNGO)「あそこの吹き抜けエレベーターがヤバい」との通達が入った。

決行は週末。集合は朝10時。開店早々である。

しかし、何かの理由で当日、自分はそこへ行けなかった。
携帯電話を持たぬ当時だったので「明日、謝ろう」ぐらいに軽く考えていた。
 

そして次の日の教室、
「いやァ~ごめんごめん」とフランクに会合に出席した自分に叩きつけられた言葉は、「絶交」の二文字だった。

「パンツを軽んじるお前を、我々は、今後信用することが出来ない」

脱退しそれ以来、彼らとは疎遠になり今でも音信は不通である。

(後で聞いた話だが、彼らはそこでおよそ6時間もの間、文字通りの百花繚乱、鑑賞に明け暮れたそうである)


「パンツなんてただの布」

そんな風に言い捨ててしまう人間も多い。
しかしながらある種の男たちにとって、それは何にも代えがたい(故に友情を壊し得るほどの危険をも秘めた)聖骸布なのである。

それほどの魅力を放つ、「パンツ」とは一体なんなのか?

暫し、ある種の男の考察にお付き合い頂けると幸いである。
 


さて、早速いささかの迂回となるが、パンツとは切っても切れない関係にある「尻」と嗜好を二分するマジョリティ「乳房」について記述したい。


「揉めない胸は、無い」

突然のジゴロ発言恐縮と言いたいところだが、もちろんそうでは無い。

単純計算で、現在地球上に於いてはおよそ40億人分もの乳房が存在し、毎分毎秒という爆発的ペースでその総数は増加の一途を辿っている。卑近なストリートを例にとってみても、大小様々な膨らみに遭遇しない日は皆無と言っていい。しかしながら、その隆起は本当に実在を伴ったものなのだろうか?

「シュレディンガーの猫」という科学的思考実験では、蓋のある箱に入った猫に50パーセントの確率で青酸ガスを吸わせる、という状況を用意し(実際に行う訳ではない)、猫の生き死にを推測する。

箱がスケルトン状態ではなく、モニターもされていないとすれば、猫の生死は蓋を開けるまで分からない(鳴き声が途絶えたなどの判断要素は考慮しない)。この時、箱の中では、生きている猫、そして死んでいる猫、という二つの時間軸が並行して存在することになる。

この実験を上記に当てはめると、(グラビア的ビキニ、谷間を強調したどエロいタンクトップなどを例外とすると)、実際にその膨らみの内部に乳房、引いてはそれに付随する乳頭がある。という確証は得られない。いわんやその揉み心地に置いておや、である。

故に、恋人(場合によってはゆきずり関係)以外のそれは、あくまで想像と知識の範疇という事で遺憾ながらも完結とするしか無く、愕然たる事実であるが、40億(80対)ものおっぱいがこの世には存在するのに、我々は一生の内に文字通り一握りのそれしか、実感を伴い、手にする事は出来ないのである。

一度はよそ見したふりをして目を戻しながら、景色の鑑賞であると偽装しながらもまじまじとガン見するバストから想定されるのは、揉みたい、または挟まれたい、「うおぉ、デケぇ、、(ヤリて~~)」という本能的セックスへのプリミティブな希求であり、そういった行為が出来ない、という事に対する欲求への不満は大きい。

なるほど、パンツに於いても同様にそれは言える。



「パンツなんかワクワク、剥ぎ取られるだけのもの(theピーズ、ラブホ)」

ここに歌われている様に、中学、高校時代ならばまだしも、それを知った現在に於いてのパンツは、乳房同様、セックスの訴求要素の一つとして機能するということに異論はない。

それ故に、オバハンのパンツには「オエ~~」という漫画的リアクションを取るのが一般的反応(もちろん、例外はある)である。
その先に想定される、セックス、及びペッティング、或いはディープキスをイメージするからというのがその理由のひとつと言えるだろう。


筆者はパンツ、そして尻に関するグラフィティ収集を行うことをライフワークとしているが、そこに於いて一番良い「作品」とされるのは、「フルバックショーツ」と呼ばれる、お尻全体をカバーし、その形状を浮き彫りにしたものを着用した女性を、階段などのローアングルから接写しているものである。(俗に、「催す」「ムズムズ」「ムラムラ」といった感情を想起するものが良しとされる趣向に最も合致しているのがこのパターンの画像である)

とは言え、平素の暮らしの中で目撃可能なパンツと言えば、自転車を漕いでいる女性や、電車で前に座ったミニスカートの間から垣間見える一瞬のデルタ、といったショットがその大半を占めている。

もちろん、乳房に於いてもそれは言えて、(嗜好云々は別として)巨乳に膨らむ黒セーターに見とれるあまり、降りるべき駅で降りれなかったという経験は一度や二度では適わない。


だが、先述した様に、そう言った場合に於いても「誰かしらはあれを揉み胸中へ顔面を泳がせているのだな、、」と、他者を意識することによる「比べ」、場合によっては経験からくる(かつては触れることが出来たorかもしれない、可能性と知っているからこその)「無力感」「喪失感」が生じ、忸怩たる思いに包まれ、乗り過ごしたホームに一人佇むことになる。

だが、パンツの場合に於いては、訴求→満たされない→不満という図式に当てはまらない事の方が多い。
むしろ、コンマ一秒にも満たない接触にも関わらず、プラシーボ(ラッキースケベ効果)として精神に良く作用するのは何故なのか?
重複するが、セックスを知らないが故の「ファンタジー」としての女体への憧れを経、一区切りをした今もそれはある。


申し訳ないが、再度の迂回である。少しばかり、歴史の話をさせて頂く。



有史以前、例えばエジプト文明においては乳房を隠すという習慣はなく、男女に於ける下着の区別もはっきりとしたものでは無かった。
どちらかと言うと、身体を覆う。という事に念頭が置かれ、数枚の布を「巻きつける」というスタイルが下着、そして衣服の主流であった。

現在の様なスタイル(ブラジャー、パンツが分離独立した状態)が確立したのは近代以降のことである。
(この辺りのことは青木 英夫著「下着の文化史」に詳しい。余談であるが、当時乳房を露出することに対する羞恥心は男女ともに無かった)

時代が進み、近世、王政フランス真っ只中のヨーロッパ貴族女性がボディーライン(乳房と、臀部)を強調する為、失神せんばかりにコルセットを締め、ウエストを細くしていたという史実がある。

この逸話に象徴されるのは、近世に於いては、身体に於けるエロティシズムはその全体の総和として捉えられていたという事実である。
うなじや腋がどう、絶対領域がどう、家鴨に似せた口唇が、

といった細部は問題では無かったのである。
(ちなみに乳房は隠されていたものの、下着の分離はここに於いてはまだなされていない)

推測するに、「嫁ぎ、子を成す」という事が女性最良の幸せであるという当時の価値観により、直接的な生殖へのアピールがファッションの第一目的としてあったのであろう。

コルセット等の下着によって強調したダンベルの様な身体で、剛腕な殿方に鷲掴みにされることをこそ理想としたのだ。

時代が進み、現代、女性の労働、社会への進出が活発になるに従い、動きやすい衣服、活発で先進的な生き方を象徴するミニスカートの流行、それに併せて上下セパレートされた下着が遂に登場という運びになる。
「結婚(伴う出産)」こそが至高という価値観が衰退し、幸福の形や生き方が多様化した事によって、装い、つまり「おしゃれ」そのものを目的とした下着や、ファッションが登場したのだ。

一方、本国に於いては、長年の栄華を誇ったふんどし、腰巻きが衰退し、西洋下着が流入し(あくまで貴族中心に)一般化するまでには大正維新を待つことになる。

そして、二度の世界大戦を経、庶民へも、ワコール社を中心として、現在のパンツ、ブラジャーがセパレートされたスタイルが浸透をしていくのである。



長々と歴史を辿ってきたが、要するに「現在形パンツ」の登場、そして細部に寄せる嗜好の成立は、あくまで最近の出来事だということである。
故に、我々がパンツそのものに寄せるフェティッシュは大変現在的価値観であるという事だ。
とは言え、「パンチラ」という概念は近年の日本に於いてガラパゴス的に発展してきた文化であるというのが通説である。
(諸外国に於いては、巨乳、巨尻といった身体を賛美する傾向は現在にしても根強く、露骨なセックスアピールが美徳とされている文化圏は確かに存在する)

筆者は「フルバックショーツ」の圧倒的破壊力について上記したが、

どちらかと言うとそれは、西洋近世に於けるボディーコントラストの強調に端を発した、生殖という本能への訴求の現在形に過ぎなかったのかも知れない。

要するにデカいケツがエロくて好きなだけで、そこにパンツがある必要は差し当たってはない。
同様に、乳房に於いても同じ結論が得られるだろう。

膨らみでもブラチラでも無く、その先の「(大小の趣味は個人差があるとしても)おっぱい」にこそ本能的な関心、ファルスが向かっていのである。
故に、まるで「おあずけ」をされた様な欲求不満くすぶりがそこには内在するのである。
しかしながらパンツは、パンツとして(先ほど述べた様なラッキースケベ効果の様に)既に価値がある。
生殖と無縁とは言わないまでも、それとはまた別のベクトルでの価値も、パンツには含有されているのだ。



以前訪れた「女子部屋(
川本史織写真展『The “LUCK” room - #堕落部屋 #女子部屋 -』)」という写真展では、雑然とした生活空間にその創造主たる女性が鎮座している様子が描写されていたが、裸や露出が無いにも関わらず、それは凡百のグラビアを遥かに凌駕する、大変エロティックな代物であった。
筆者はここにパンツの魅力へのひとつの光明を見た気がした。
まとめると、こうである。

密閉遮断され、ある条件下に於いてしか不可視、不可触な乳房 

= (上記同様の)尻、性器 
許可、承認なしに入ることの敵わない「女子の部屋」という「プライベート」かつ「シークレット」な空間。

それらの「垣間見え」としてパンツは定義されるのではないか
ここにこそ、生活空間に於けるエロティシズムの真髄があると筆者は言いたい。


思うに、現代日本を中心として、その文化が進展した背景には、わびさびという本国独特の概念が影響を及ぼしているのではと推察される。露骨に見せるのでなく、「思いを馳せ、想像させる」、勿論、たった一枚の布の先にあるのは、生殖器そのものである。
しかしながら、布を一枚差し挟むことで、危うさを残し直接的なエロスを匂わせながらも、乳房に於ける大小と膨らみといった指針し平均されたが故に、シチュエーションや、色柄、タイミングなどが重視され、露骨なエロスを包含してはいるものの奇跡的にパンツは、単体としての「美」を体現する事に成功している。

もちろん、これは男>女、という誤った価値観が主流を占めている場合は成立しない。
承認なしに見る事が(平素は)叶わないものの一端が垣間見えたからこそ、そこにエロティシズム、引いては聖性が顕現するのである。
そして、見られるかも知れない、見せることがあるかも知れないという多かれ少なかれはあれど、女性側の意識が作用しているからこそ、そのエロティシズムは 何倍にも跳ね上がる。(だからこそ、例えばパンツを盗む。という行為を筆者は理解しかねる。女子部屋同様、所有者、選択者たる女性がそこにいるからこそのエロティシズムだと考えるからである)


暮らしの中で偶然と目にするパンツ

 エロスを伴いながらも、同時にそこにはある種の神秘的コミニュケーションが展開される。
あなたは誰で、私は何で、という言語による個人間のやり取りはここでは必要がない。
(女子部屋という展示はそのメルクマールとしての一端を持っていたからこそ、興奮に値するものとなっていたのである。

展示では、被写体となっている女性に関する情報が少なく、名前も知らない彼女の部屋と職業だけが描写・明記されている)

それを偶然にも見ることが叶った時、我々は小さな声で「ラッキー」そして、心の中で「ありがとう」と呟くことだろう。
見知らぬ他人のそれであるにも関わらず、その深い謝意の前には社会的身分などは胡散霧消してしまう。

「神」
大それた言葉に聞こえるかも知れないが、風や、空、そう言った自然現象や、街角に置かれ、描かれた鳥居に、ふとした瞬間その存在を感じること。
それと同じ感覚が不意のパンツとの遭遇には生じるのだ。

 「パンツ」が存在する世界に生き、それを理解できる価値観を持っている幸福を、呼吸し感謝し続けること。日々に於ける信仰とは、そんな風に何気なく、気配として存在する神道的なものなのである。

故に、過剰な接触や盗撮は暗黙の禁忌として定義され、それを犯した者は痴漢として、

社会的に抹殺される。
(見たい、浸食したいという気持ちは大いに理解するが、マナーとルールはいつ何時も遵守するべきなのだ、中学時代の筆者自身への自戒も込めて) 

神聖を侵すこと、聖域を踏み荒らすことは許された事ではない。あくまで、偶然である事に意味がある敬い、尊重して始めて、神秘は光を放ち始める。


くるりの岸田繁氏は、学生時代、女性と会話をした日を記念日とし、スケジュール帳に大切に記録していたそうだが、
ふいに出逢えたパンツ、色とりどり人それぞれの、

そのすべてが殺伐とした日々に咲く、一輪の椿としてあるのだ。

(了)

2017年9月4日月曜日

「サヴァイビングカスライフ vol.10(ライブ喫茶 亀 メルマガ八月号)」


朝5時、始発電車のその次までに乗車しなければ間に合わない。
品川からはバス。言葉を交わす訳でもなく、タバコ、新聞、アプリ、茫然。
ロータリーでは男たちが、それぞれの早朝をこねくり回している。

20分ほど乗車し、コンテナが林立するバス停を降りた近くの営業所から、
4トントラックの助手席に乗り換え、向かうのは川崎、横浜、栃木、甲府、聞いたこともない町の一丁目や二丁目。
見知らぬ街のコンビニや工場、できたてのオフィスに、荷物を運ぶ。

最近、たまに入っている仕事の話。

車内で大切なのは寝ないこと。
朝5時に電車に乗らなければならない以上、必然的に4時には起きていないといけない。
忙しく、前夜寝ずにそのまま行くこともあるが、トラックにただ揺られる、下手をすると三時間の片道を乗り越えられるパッションは俺には無いので、出来るだけは寝ておく、とは言え朝はいつだって眠いのがセオリー。
一度、落ちしてしまった寝起き「仕事中、だからね」とその先は気まずい一日を過ごすことになった。

当日まで分からない担当の運転手がおしゃべりだった時、これは楽しいし、眠気も飛ぶ。お互い眠たい身、仕事の半分は会話と言っても過言ではない。

長距離に乗っている人は隙間時間を、考え事や趣味に使っていることが多い。
プラモデル、喫煙パイプ、陰謀論マニアの人。
引っ越しなどの肉体労働の現場はパチンコ、携帯ゲームの話題で持ちきりで、特に話すことも興味も無いが、トラックの運転手には面白い人がたくさん居て、聞いているとかなり楽しい。

しかし、時にはストイック(よく言えば)で、何も喋らない人と一緒になることもある。
高速の長い長い一本道。「寝てていいよ」の一言をもらえれば救われるのに、世間話もしない人は、余計なことも言わない。

そんな時は眠気覚ましに、ずっと外を見ている。

オレンジ色のパラソルを差したままの庭、授業中で誰もいない中学の校庭、干上がった川にかかる赤い橋、草にまみれ放置された小さなショベルカー。
聞いたこともない、何でもない街の、けれどなんとなくいつか見たような光景に懐かしくなって胸がいっぱいになってしまう。バイパスの上からそれを見下ろす。

そんな時、ここに産まれていたら、どんな風に生きていたろうか?と思う。

クリスチャン・ボルタンスキーという、匿名の写真や、大量の衣服を使って、記憶、痕跡を題材にした作品を制作するアーティストがいる。

数年前に東京の庭園美術館で行われた展示では、床一面に敷き詰められた藁の真ん中に大きなスクリーンが置いてあり、森の中や砂浜に大量の風鈴を吊るした、祈りや鎮魂をテーマとした映像が投影されていた。
踏みしめるたびに立ち昇る藁の匂い。ある文化圏の人には、何かを想起するには持ってこいの素材に違いないのだろうけど、日本で産まれ育った自分にはあまり馴染みのないもので、正直、ピンとこなかった。
それでも、彼のやろうとしている事にはとてもシンパシーを感じて、ずっと頭の隅に残っていた。

数年経って最近、「クリスチャン・ボルタンスキーの可能な人生」という本を偶然、図書館で見つけたので借りて読んでみた。

「存在を示すことは、その存在の不在を示すことでもある。(クリスチャン・ボルタンスキーの可能な人生)」

トラックの窓から見る光景、ここで産まれていたら、という夢想は、前人未踏ではない以上、きっと誰かが、いつかはそこにいて、そして何らかの思い出がそこにある筈だからこそ成り立つ。 そして、その誰かはもう居ない。自分にとっての思い出が、いつだって遠い昔なのと同じ様に。だからそれを想像し、思いを馳せることが、過去、瞬間を確かに暮らしていたということ、そして、生きてきたということの確かな証明になる。

山へと続く小さな川、公園の不思議な遊具、ずっとあり続けている独特なセンスの婦人服屋、いつから閉まっているのか分からないラーメン屋。


それらのひとつひとつが、自分にとって、また、誰かにとっての痕跡のモニュメントなのだ。


2017年8月14日月曜日

サヴァイビングカスライフ vol.9 (ライブ喫茶亀 メルマガ七月号)


府中美術館へ、美術家の狩野哲郎さんの展示を観に行ってきた。
室内にはカラフルな釣りウキや針金、瓶やスーパーボール、ベッドの足や木材を組み合わせたオブジェが林立している。
調べてみると、狩野さんは「ギャラリーに鳥を放った」アーティストとして有名らしい。

人間の目を通して見ると、「これは何々だ」という意味や用途を判断する知的フィルターが必ず入る。
しかし、鳥の目線ではどうだろう。ゴムホースや、食器、自然から持ってきた枝でさえも、鳥からすればただの「かたち」で、彼は自由自在にそこを飛び回るだけだ。

エレファントノイズカシマシというバンドを自分はやっているが、我々が演奏に使うのは、おもちゃや髭剃り、ギターが出すハウリング音(ピーーという、朝礼、運動会などでたまにやらかすアレ)、鉄骨を組み合わせた自作楽器などだ。そして、会場そのものの音(お客さんの呼吸や動作に伴う音、遅れて入ってきた人が立てる音)も常に意識している。

とは言え、ステージに立つ以上の身だしなみや、光を使った演出などを含め、「出る音」が全て、とまで言い切ることは出来ないし、既成の楽器も使ってはいるが、本来の用途とは違う使い方も演奏には取り入れている。

先日、法政大学で行ったパフォーマンスで、演奏にノートパソコンを使った。
冒頭、学生を含めたお客さんがそれぞれのコミュニティで固まって談笑などをしているところへビニールテープを持って侵入した。
ビニールテープは、会場の真ん中に置かれた小さなフェンスにぐるぐる巻きになって繋がっており、そのフェンスを宙に浮かせる為に会場の各所、柱やスピーカーなどあらゆる場所へ張り巡らせた。
散り散りになった人々の真ん中、フェンスの真下に、周囲の音を取り込み、搭載のスピーカーからそれを反復し音を出力するソフトを開いたパソコンが置かれ、そこから我々の演奏が始まった。

ロックバンドは「自由になれ!」「解放しろ!」とステージから叫ぶが、結局は群衆となった客が「イエーイ!」や「フォー!」という決まり切ったフレーズをほぼ同時に唱えるだけだ。
もちろん、「人」と「人」という関係性やバリアみたいなものをある程度までは取っ払うことが可能で、その行為は意味のないことではない。

だが、我々のやっているのは「ノイズミュージック」である。

自分のリアクションで出来るだけ純粋に聴き、各々のタイミングで自由に反応をしてもらうには、無理やりにでも一度は一人に、「耳」になってもらわなければならない。
しかしながら、鳥ほどの自然体には成りえない我々は、さながらデータや文明、知識が詰まりに詰まったノートパソコンみたいなものだ。

純粋な「音」そしてそれを聴くという体験はどこにあるのだろうかとずっと考えている。
例えば海の音を録音したものを「自然」の音だ。と呼んだとしても、
結局はマイクを設置する際に「人間が聴く」ことが想定とされ、設置場所や音量が調整されている。
また、録音された自然音を再生するにもスピーカーないしはヘッドフォンが必要だ。
では、現場、海そのものに行って聴く音がそうなのか?と言ったところで「これは海の音である」というフェンスを取っ払うことは出来ない。

今回の展示に感じた勝手なシンパシーは、そんなジレンマを彷彿とさせると同時に、
「間違ってねーじゃん俺のやってること!」という勝手な背中押しにも解釈できた。
「鳥が見ているもの」を想像できるのは人間にだけ許されている行為であるし、「純粋」な「音」そのものを追求することにどこまでいっても果てしない可能性を感じるからだ。


2017年6月13日火曜日

「サヴァイビングカスライフ vol7 (ライブ喫茶亀 メルマガ4月号)


「水がいっぱいある」のが好きなので、
浄水場なんかを見てると無条件で上がる。
それ関係の求人を探してみたこともあるが、
湿度に比例した陰湿ないじめなんかもありそうだし、
そもそもカテゴリーが公務員だ。
もしこの先、声が潰れ、人前に立つ今の仕事が出来なくなり、
それからでもなんとかなるのなら水を眺めて暮らせたらいいなと思う。

雨上がりの街を見るのも好きだ。
先日、音楽の仕事で神戸まで18きっぷの鈍行で10時間かけて向かった際、
岐阜県大垣市を過ぎたあたりで品川から降り続けた雨が切れ始めた
時間的にも夕方前だったので、旅の疲れも相俟ってディストピア小説にしおりを挟み、目に入る、あるがままの外を見ていた。
湿った屋根、セール品のカゴを陳列し出す商店街、荷物になってしまった傘と談笑、ため息をする様に霧を吐く山の連なり。
校庭では部活帰りの水たまりがまたがれていた。
つかの間の湿地帯となった里山を見ていると、無条件でそこに暮らしてみたくなる。
通り過ぎるだけの薄い関係で、いつもと違う空間の、いつもと違う瞬間だけを見させてくれる。
恥ずかしいスイーツな言葉をあえて使うと、それが「雨の魔法」だ。

そういえば小学生の時、ひどい洪水があって街が水浸しになったことがある。
避難、救助の大騒ぎが寝静まり、深夜に市民会館を抜け出して見た神話めいた世界を今でも覚えている。

もちろん、川や池、湖なんかも大好きで、
なにかが居そうな気がする」水の一番の魅力がそこにある。
深ければ深いほどいいし、ちょっとした防火池なんかでも、もちろん良い。
水面それ自体の美しさというよりも、その下に広がっているであろうワールドに、
 一体何があって、ひょっとして何かが生きていて、なんて想像の余地がどこまでも許されているからだ。

先日、カワウソについてのシンポジウムへ行った。
絶滅してしまったニホンカワウソを主題に、世界的にも数が減少している野生動物について考える会だ。
実家がクソ田舎なので、近所の川でオオサンショウウオを発見、抱えた上に放り投げて遊んだ。なんていう超牧歌的なエピソードを友人から聞いたことや、猿の出現で急遽集団での下校が宣告されたことも一度や二度ではない。
蛇やタヌキ、イノシシなんかも身近に生きていて、カワウソについても興味があった。

日本では1979年の高知県での目撃を最後に、生きたカワウソの目撃情報はない。
かつては河童のモチーフや、民話(カワウソに騙される、カワウソが恩返しとして魚を持ってきてくれる)にも多く登場する、「どこにでもいる」身近な動物だったらしい。
駆除など、絶滅の原因についても色々な話が聞けたが、なるほど。と思った原因の一つに「無関心」が上げられた。
高度経済成長期の日本では、水俣病に代表される大企業による公害が多発するなど、
人権を蹂躙し人間よりも経済発展を志向した時代情勢に「(当時は)どこにでもいた」生き物の存亡に注意を払う者は、少なかった。
加えて養殖関係の仕事をしている方々からしてみれば、カワウソは育てている魚を食べてしまう害獣であり、「悪い生き物」として駆除の対称に捉えられてしまっていた。

シンポジウムでは、何度かあった「救えたチャンス」についても語られた。
結果としてニホンカワウソは30年間の目撃情報ナシという環境省の判断基準により2012年に絶滅の宣言がなされてしまったが、韓国、シンガポールなどでは現地の専門家やNPOの活動で、徐々に生息域が広がってきており、環境の変化にある程度までは柔軟なカワウソの姿が都市部の河川などで目撃されてきている。
それらのカワウソは分類的に言うとユーラシアカワウソという種類で、ニホンカワウソによく似たDNAを持ち、日本での再導入(放流)も可能ではないかという研究が現在なされているそうだ。
上記の例に倣い、日本でも都市部限定でそれを行うことで、害獣としての被害も抑えられるという。リアリティのある話だ。

しかし、ここに於いても大きな問題は「どっちでもいい」という世論が未だ大きな割合を占めているということだ。
記憶に新しい多摩川アザラシなどの様に、動物を可愛いものとして享受する余裕のある思考は当時(1945年以降)に比べてはあるものの、未だに「誰かがやれば」の域を出ていない。
専門家である安藤元一教授の、
「今更な言葉ですが、敢えて言います。やりますか?では、いつやりますか?今でしょ」という言葉が鮮烈に響いた。

水好き、川好きを自負している自分としては「居ても居なくても」というのなら居た方がいいに決まっていると思う。
そうすれば水辺はもっと楽しくなる。
「何かが居そうな気がする」に「カワウソが居るかも知れない」が加わる。
とても素敵なことじゃないだろうか。



2017年4月2日日曜日

「サヴァイビングカスライフ vol6 (ライブ喫茶亀 メルマガ3月号)

リリース、リリースで特筆すべきことは多々あった筈だが、
文章として何かを表明しようという気持ちには暫くなれなかった。
その分語りはしたが、「プレゼンテーション」という作業に付き纏う、ある種の明言性のようなものが面倒で「これも言わなきゃいけないの?」というもどかしさにやきもきした事も一度や二度ではない。元も子もない「聞いてもらえると早いんですが、、」を実現するために、言葉を連ねるという行為。

歌や音楽を成すというのは、自分にとって、滝の様に降りそそぐ日々の中から手のひらに残ったほんの少しを大切に飲み干し、アイデアや芸術表現へと昇華する、非常に燃費の悪い作業だ。
勿論、その圧倒的に多い取りこぼしの中には二度とは手に入らない情緒やメロディーも存在する。

象徴的な出来事として、先日観に行った「ナツノムジナ」というバンドのライブが挙げられる。
沖縄出身のロックバンドである彼らのセンチメンタルかつ清涼感のあるスピーディーなサウンドは、手のひらからこぼれ落ちてしまった「自分にはもう鳴らせない類の音楽」であり、かつてこの記事でも書いたことのある「失ったことで持っていたことにする」薄っぺらい郷愁めいた「純粋ポルノ」の更に先を行った、より母性的で雄大な爆音である。
「本当に好きだったひとを思い出しても、抱きしめるのはいつも、自分のことだけ(片岡フグリ 本当に好きだったひと)」と歌う自分を「だけど、本当に好きだったひとが、ちゃんと居たんだね」と優しく包み込み、抱擁してくれるような、そんな大きな存在に、ひと知れず涙させられてしまった。

かと言って勿論、その程度で揺らぐレベルの信念で行動している訳ではない。
俺は、そんな俺の様にナツノムジナに涙する「美しくありたかった」君のために歌いたい。

今月、片岡フグリ名義では2年ぶりのアルバム「self」を手紙限定でリリースする。
手紙とはキュートな表現で、暮らしの中にホッとハーブティー、ゆっくり行こうよ的な柔らかい印象を与える言葉だが、それを送り、受け取るためには、郵政のシステムとして住所を教え合わなければいけない。
店頭でも、会場でも手にすることの出来ないそれを否応なしにプライベート空間へ叩き込むことは(勿論、俺の所在も明らかにしながら)、領域を侵犯し合うことでもあり、一対一の聴取のみを希望するということだ。


「self」はその名の通り、もともと、すべての作詞作曲、そして録音もミックス作業も自分一人で手がけた作品である。最も誠実にそれを届けるためにはどうすればいいか、と考え、今回の様な我儘な方法を取ることにした。

そして今回は封筒も自作した。「東京」という特殊な生活空間に在住する地方出身者の「自分」と「あなた」を隔てる「街」のシルエットが印刷されたそれを破り、アルバムを取り出すことで、「出逢い」を演出するのがその目的だ。

ご注文をお待ちしている。

kusomamireore@gmail.com


片岡フグリ「self」
\1000(送料込み)

1 thirsty
2 黙っていられる僕らは大人
3 宝塚インター
4 苦笑いの果実



2017年4月1日土曜日






片岡フグリ「self」発売記念ワンマンライブ「アパートメント」
2017423()喫茶東京鼠
(大陸バー彦六 東京都杉並区高円寺北 2-22-11 2F)


開場1430分/開演15時 
入場料500(+ワンドリンク)




2017年3月3日金曜日


エレファントノイズカシマシ「DISCOVERY」公開試聴批評会 〜 2017年2月11日 北千住トーチカ レポート







登壇者

エレファントノイズカシマシ

片岡フグリ(日用雑貨、知育玩具、総合司会)

小林ムーク(シンセサイザー、モノ)

ZAIDEN(ベース、声、挙動、ツイッター)

岡本ノイズ広場(鉄骨、廃材)

小松成彰(ディジュリドゥ、神秘家)

Σ(ギター、帽子着用)


司会進行、写真撮影

田中志遠(東京藝術大学 音楽環境創造科 毛利研究室所属)

白岩義行(カメラマン、映像作家、今日本で最もノイカシを撮っている男)


片岡フグリ(以下 片岡) 今回のアルバムのコンセプトだけ先に

田中志遠(以下 田中) お願いします

片岡 レコーディングをするにあたって、「何を録るべきか?」について考えたんですけど、我々は、ノイズ、お客さんありきの即興演奏というものをやっていて、「現場主義」っていう風に呼んでいるんですけど、そんな俺たちが、何を録ってリリースをするべきか。
これまで、ライブ版とかをCDRにして出したり、ネットリリースとかはあったんですけど、流通するモノとして、何を出せばいいのか?って話し合って、今回はベスト盤を作ろうと。

我々は2012年の結成で、そもそもは小林(ムーク)くんと二人で始めたんですけど、
その歴史を辿って再現していく様な作品にしようと思いました。

そしてもう一つ考えていたのが、今は打ち込みだったり、それこそ初音ミクだったり、最初から、高音質なものをPC上で作ることが出来る。ノイズに限って言っても、マックブック一台で格好良い音の演奏を、リアルタイムのライブで行っている人もいて。
でもそれは我々の言う現場主義とは違っていて。
だからPCを、あえて我々はライブでは使わなくて、例えば小松さんのディジュリドゥのビート、人間の力の限界が、俺らの限界っていう、そこにこだわっていたので、録音っていうものも「生」を意識して作りたかった。

具体的に何をどうしたのかと言うと、録音の歴史というか、一番最初に録音機器として発明された筒(フォノトグラフ)、とかそういうレベルの話じゃなくて、俺らが触れて遊んできた録音媒体、カセットとか、MTRとかの変遷を振り返って辿りながら、我々のクオリティ向上の過程も同時に、アナログな即興演奏でなぞらえて再現してみようと。
一曲目はカセットの音で作ったんですが、それも使い古してダルダルになったテープの音にしたくて、一度録音したテープを引っ張り出して、ぐちゃぐちゃにして戻したものを再収録しました。

田中 では、聴いていきましょう


♬ ELEPHANT NOIZ KASHIMASHI(ver 1.0)


片岡 っていう(笑)

田中 これ、40秒とか

片岡 そのくらいですね

田中 スピーカーがいいから、割と高音質に聞こえる

片岡 これ、元はモノラルで録ったんですけど、テープをぐちゃぐちゃにしたから、磁気が混ざって勝手にステレオになっている。
演奏しているのは、剤電、小林、自分、で技術もクソもない(笑)
これは何回か録り直しました。こんな格好よくてはダメだろうみたいな(笑)

小林ムーク(以下 小林) どうしても豊かな音になってしまう。今やってみると。
(当時は)こんなにいろんな音色、無かったでしょ。もっとブブブって。音量だけがある、みたいな

片岡 つい、ツマミをいじってしまう

小林 もっと何もなかった

片岡 当時は俺もエファクターが二個しかなくて

田中 ノイズ始めたら最初はそんな感じになりますかね

片岡 でも、やっぱりディストーションとか、デスメタルとかを買うと思うんですけど、俺はリバーブとフェイザーっていう。空間系のものしかない。ファズすらなくて。
でも音がデカすぎて勝手に歪む、みたいな。ムークは?

小林 僕はリングモジュレーターとエコー、2台だけ。そのブブブをアンプでデカくしただけみたいな

片岡 ロックが歪みを発見した時みたいな。クリーントーンを極限まで上げて、この音やばくね?っていう歪みの始まりを体験しました


♬ ELEPHANT NOIZ KASHIMASHI(ver 2.0)



田中 僕、これがいちばん好きなんですけど。それこそ、BOREDOMSとかに近いのかなと

片岡 そうですね、完全にそうでしたね

田中 これはどう録音したんですか?

片岡 これはデジタル録音をテープにステレオで落としました。最後のブツって音なんかも演出的に増強して。サーーってずっと鳴ってる音があったり、テープ独特のコンプが掛かった音になってますね。これは第二期エレファントノイズカシマシ。なんの技術もないけど、パワーだけあったっていう

田中 実際こういうライブをしていた?

片岡 こんな感じでしたよね

剤電 してないです

(一同笑)

田中 してない?

片岡 こんな感じじゃなかったっけ?

剤電 パッションみたいなものは近いけど。
こういう感じは僕が入る前かな?2013年に僕は入ったんですけど、
こういった衝動、ハードコアとかジャンクとか。ドラムがいた時期もあったり、
その時は片岡さんがまだ機材をあまり持ってなかったから、ボーカルでやってて。
前のベースの方がいて、大曲君というギターがいて

片岡 歌のねじれた感じとか、ボーカルが見切りを切るみたいな動きは54-71の影響で。ボーカルの方がモニターとセックスしてるみたいな動きをしていて。リンボーダンス的なその動きが格好良くて。動きメインで、自分がシャーマン的な位置付けでやってましたね


田中 声の出し方、面白いですね

片岡 怒ってる感じの。肩を怒らせた声でやってます

田中 これは全員で録った?

片岡 はい、小松さんはドラムで

剤電 ドラム編成を再現するために、ドラムを入れてやろうという話になったんですが、それはやめましたね

片岡 タムを二人(小松、岡本)に分けました

剤電 僕がギターボーカル、Σさんもギター、小林さんはシンセですね。
自分がクリーントーン、Σさんが歪みで、左右にしっかり分けて。
で、ボーカルが真ん中。シングルA面ですね

田中 ギターが綺麗だからサイケにも聞こえますね

片岡 サイケ?ハァ〜

田中 個人の感想です

剤電 ギターの分け方とか、パーカッションの感じとかは古い録り方をしていますね

岡本ノイズ広場(以下 岡本) この時期って、僕と剤電さんが入ったばかりで、当時はドラムしかできなかったので、それを模写しながら演奏したんですけど、この時期っていうのはやっぱり、二人が仰っていたように、気合で成り立っていた時期

剤電 ライブも10分くらいしか出来なかったし

岡本 俺らは30分の気持ちだったのに

片岡 スタジオに入って失神してた頃

岡本 めちゃくちゃ全力で、インテリジェンシーのかけらもない

田中 ドラムってそもそも出せる音が少ない

片岡 叩くしかないですからね

岡本 僕はノイズカシマシの中では楽器の紆余曲折がある方で。まず僕はドラムがノイズに入っていることに対する嫌悪感がすごくあって、これ以降はドラムじゃなくなります

剤電 片岡さんもスキンヘッドで


岡本 そう、怖かった時期ですね

片岡 54-71の影響です

剤電 日本の怖いハードコア、GAUZEとか、イカつい感じのバンドからの影響が強かった。当時のライブを見ていた感じもそうでしたね。そこが格好良いと思って入ったのに、今は全然違うことをやってますね

岡本 この時はすごくエクストリームだったというか

片岡 集団投射っていう、解釈は違うけど高柳昌行って人がやっていた、とにかく音を出し続け、壁面を作って

岡本 時間的感覚を失わせる

片岡 それみたいなことをやっていた。大曲君っていうギターの元メンバーが高柳信者で(笑) 俺の家に飲みにくる度に、やれ高柳それ高柳って

剤電 凄くライブで暴れる

片岡 ブチ切れたことあります

剤電 暴力の象徴。ライブ始まった瞬間にギターが床で大破してた(笑)
出てきた瞬間にぶっ壊してた。しかもそれ、小林さんのギターで。人のギターを叩き割って

片岡 ダメ。そんなの高柳じゃねーし

岡本 当時はエクストリームでバイオレンスで

剤電 だから、今のウチら好きな人は、怖がって観れないかも知れない

岡本 まだそういうところに寄っかからざるを得なかったんですね

片岡 一曲目の延長で、でも若干技術が、、まだ無いですかね

岡本 無いですね

片岡 当時はやけっぱちで、まともにリリースが出来るとか全く思ってなかった。
チケットノルマを払って

小林 辛い思いをした。お金がなくなるだけ

片岡 客も来ないし

Σ 2013年?

片岡 そのくらいですね

剤電 テクニックが無いっていうか、その時岡本さんと僕はバンドをやってたんで。
割とインプロのライブとかもやっていて、そういったテクニック、ノイズをやるっていうより手数の多いフリージャズみたいな。そこから卒業して今みたいな感じですね。
テクニックの即興ではなく、音に込める。みたいな。必要な音を出す

片岡 お前、汗足りなくね?みたいな時期でしたね

田中 ノイズって演奏する時、聴くことが必要ですよね

片岡 というのは?

田中 ジャズとか演奏する時の、スケールを聴くみたいなのとは違う、空間を聴くみたいな

片岡 それはかなりありますね

田中 それを思って、高柳の記述を解説では入れたんですが、高柳の「幻夜祭」っていうフェスティバルが、かつて羽田空港が、、

Σ 成田空港です(ズバッと)

剤電 こえーーー

田中 すいません、成田空港の反対運動が起きてた頃に高柳が出た幻夜祭で、元々あの方は農村の出だったんですけど、農民の暮らしを身を以て知っていたから、それをずっと見聞きしてきた上で、音を出したのがノイズの走りなんだとしたら、ノイズって演奏するより聴くことの方が大事なのかなと。次にいきますか


♬ ELEPHANT NOIZ KASHIMASHI(ver 2.1)



田中 無機質な感じになりましたね

片岡 そうですね。ここからはデジタル録音ですね

田中 一発録りですか?

片岡 若干の加工はありますね。最後の音はズラして入れています

Σ ギターも歪んでますね

片岡 所謂ノイズ

田中 聞いたことある感じがしますね

片岡 インキャパのライブ盤みたいなね

田中 それ自分で言っていいんですか

Σ ニューディレクションとか

剤電 ノイズ好きにはこれが一番いいんですかね。
アメリカのゼロ年代の中頃か後半にニューヨークで始まった、ノイズロックの質感に似ている

田中 ノイズロック?

剤電 ブルックリンの元パンクスが物価の安いところに集まって、ノイズ、実験的な音楽をやっていた。ソニックユースとかと絡んで、ロックっぽい尖ったオルタナをやっていた時期があって、それの質感に似ている 

白岩 例えばどんなバンドが?

剤電 Wolfeyes、Hair police、SIGHTINGS、そこらへんのバンド。そこからAnimal ColectiveとかBlack Diceとかが出てきて売れたけど、Wolfeyes、Hair policeとかはアンダーグラウンドに止まっている感じ

片岡 なんでアンダーグラウンドのままなんですかね?分かりにくいから?

剤電 売れないからじゃないですか

片岡 なぜ売れないんですか?

剤電 うるさいからじゃないですか

片岡 でも新しいジャンルとして台頭してきたっていうのがある訳じゃないですか

剤電 そうですね、それをマスにパッケージングして届けれたのが、Animal ColectiveとかBlack Dice、Lightning Bolt、とか

片岡 他のものと混ぜることが出来たからですかね?フリージャズを纏ってるから売れないんですかね。例えば売れないことの身体性ってあるじゃないですか。フリージャズ、コンテンポラリーダンス、踊って、食えなくて痩せ細った身体が美徳。みたいな

剤電 そういうバンドは仕事は別であって、やりたい音楽をやる。みたいな。パンクの精神ですかね

片岡 当時もそうだったんですか

剤電 そうですし、今もですよね。周りもそうじゃないですか

片岡 今は確かにそうですね

剤電 仕事しながら、売れないだろうけど、やりたい音楽をやるっていう、幸せ、、




片岡 なるほど。それってノイズじゃなくてもフォークシンガーにも多いわけじゃないですか。ライフスタイルに音楽があって、それとは違うのかな。
舞踏の人なんてみんなガリガリで、体を苛めることで先鋭的な音、無機質なものになろうとしていたのかな、と。
都会の中でやる音楽、コンクリート的な、それが山とか農業、土に行ったらフォークになるんじゃないですかね。
音源に話を戻すと、この時期は音に意識を写し始めた時代ですかね

岡本 そうですね。僕がドラムを完全にやめて、金属をいじるようになった頃なんですけど。
正確には段階が二つあって、まず第一に、金属を集めて叩いたりこすったりして出した音でライブをやってたんですけど、全員でやるには音量が足りなくなってきたので、コンタクトマイクを付けて、アンプにつなげるようにして、っていうのを三曲目にまとめたんですけど、当時はドラムって、どうしても演奏、プレイっていう意識が曲やライブの中に入ってきてしまって、自分が未熟だからかも知れませんが、できるだけ、そこから離れようと思って、金属とかそういう方向に舵を切った時期です。
結果、演奏としてはイメージするところのノイズに近くなったのかな、と。
どうしてもドラムが入ったノイズ、ビートの入った演奏、それこそBOREDOMSとか、そっちに寄ってしまうと思っていて、どうしてもそれは嫌だったので、方向を変えた時期ですね

剤電 ノれなくなったと言われましたね

岡本 しょうもないライブも、かなりやりましたね

片岡 そうですね

剤電 岡本さんがドラムをやめた最初のライブが多摩美のオープンキャンパスで、
「荷物が持てないから、新宿駅に来てください」ってメールが来て、行ったら考古学者みたいな人がいて、シャベルとかめっちゃ持ってる人がいて、それが岡本さん。
「もう、歩けないです、、」って。橋本まで一緒に行きましたね

岡本 本当にありがたかったです

剤電 その時はアンプラグドで自作の鉄テーブルに缶とかパイプ、鎖とか

小林 わりかし叩いてましたね。「あっいい感じのメタルパーカッションかな」って思ってライブやったら粉々になってて

剤電 ライブの度に機材がバラバラになってて

片岡 岡本さんが鉄でタワーを作ってたんですよね

剤電 そのあとですね。ナイアガラの滝みたいな

片岡 あれ、なんだったんですか?物干し竿?

岡本 衣装かけみたいな。鉄の枠を買ってきて、いろんな金属を鎖で繋いで、とにかく音を出すってことをしてきたんですけど。揺らしたり、叩いたり

剤電 マジでやばかったです。写真とかないんですかね

片岡 でも、それが象徴化し過ぎて。あれに突っ込んで終わるっていうセオリーが出来ちゃってて

岡本 それに寄っかかっていたっていうか。メタルパーカッションって、バンドとかノイズと混ぜると良い帯域の音が出なくて。例えば凄く高い帯域のカンカンっていう中華鍋みたいな音しか出ないっていう。それが僕の中で問題になって

片岡 そのニュアンスとか、細かさを俺らが活かすことがまだ出来なかった

岡本 それもあるし、楽器というか、システムの限界があった。生音で金属をガシャガシャ出す時の、見た目は凄く格好良い。メタルで、ジャンクで、でも出落ちみたいな。「そんなに音がしないんだ」っていう




剤電 みんなで音を出し始めたら消えちゃう

岡本 見掛け倒しが強くて、機材に負けてる様な、それじゃいかんなって

片岡 バンドもまだ機材に負けてましたね。小松さんは何してましたっけ?

剤電 ディジュリドゥでしょ!

小松成彰(以下、小松)  レコーデイングで?

片岡 いや、この時期ライブで

小松 もうディジュリドゥ吹いてた。プラスチックの筒、ディジュドーイっていうので吹いてたからショボかった。音が


片岡 今みたいな、しっかりした低音じゃなかったんですね

Σ 自分が初めて観たエレファントノイズカシマシが、kyu-shokuっていうバンドの企画で。岡本さんが、その巨大鉄骨機材を使っていて、最後にそれに絡まって出れなくなってフロアに横たわって終わりっていう。凄いなって思いました。罠にかかった岡本さんみたいな

田中 映像とか無いんですかね?

剤電 無いですね。撮ってくれる人もいなかった

白岩義行(以下、白岩) 物干し竿でやぐらみたいなものを作っているっていうのは、トイレ工事の時の映像がありますけど

剤電 全然違う。あれの10倍くらいのデカさでしたよ

岡本 もっと、ティンゲリーみたいな

片岡 はぁ?

岡本 ニキ・ド・サンファルの夫

剤電 極めてマニアックな話が。誰もわからない

客 何年目くらいの再現なんですか?

片岡 結成二年目くらい

客 さっきの演奏は、誰が参加してるんですか?

片岡 全員?

小松 いや、僕はいない

片岡 小松さんは、後ろで見張っていましたね

Σ 僕は大曲くんのカバー。三曲で演奏してるんですが、2曲で大曲のカバー。
あ、ここで機材の話をすると、
この曲でギターを歪ましているんですけど、M.A.S.F.のファズを使っていまして、
大曲くんっていうのは凄くファズを使っていたので。 他は何を使ってましたっけ

剤電 エレハモのサンプリングディレイとか

小松 メモリーマンも使ってましたね

Σ 普段、僕これあんまり使ってなくて。なんでかっていうと便利過ぎるっていう

片岡 それ、最初のギターの人も使ってましたよ

Σ 大曲くんのさらに前?

小林 ファージね

片岡 「これ踏んだら全てがノイズになりますよ!」って

小林 初めてのノイジャーみたいな

剤電 ファージ君っていう、大曲君と同時期に入った、今パンクやってる、若いギターの

片岡 ちょっと頭の悪い子ね

剤電 あんまりエフェクターとか持ってなくて、歪みと

片岡 コンタクトマイクで「これ、ノイズが鳴るんすよ〜」ってね

小林 大曲がノイズ大、ファージがノイズ小みたいな

剤電 動きはファージ君の方が、格好よかったですね

片岡 髪型がなんか、スタジオのバンドマンが良くやってる片側だけロン毛で片方坊主みたいな

Σ これを繋ぐとすげー格好良いノイズが出て、軽いし、最高なんですけど、良くないなって思って。こうしてライブで、ギターを弾いてバーって汗を流してっていう風に音楽を作っているので、こんな便利なものを使うのはよくないなって

田中 てっとり早すぎるんですかね

Σ 歪みを三つ繋いでってやってますね。(重いですが)家出るときからライブは始まってるんで

剤電 パンチラインが

片岡 今日は持ってきてないんですけど、機材に関して、一貫してこの頃は髭剃りにコンタクトマイクを付けたものを使っていて。ウィーーンって、っで消すとめっちゃハウるっていう。掲げてウルトラマンみたいにしたり。
持つモノをやりたかったんですね。だけどサクマドロップにマイク入れてみたいなのは嫌だったんで、じゃあ俺の周りでかっこいい音がするものってなんだってなって、髭剃りだ!って。あとは掃除機とか

剤電 マラカスにコンタクトマイク

岡本 あれは、ギロですね

片岡 そうだ。ギロの中にボルトとかネジとかをいっぱい入れて、カバーの付いたコンタクトマイクをぶち込んで振り回す。バコバコバコっていうシェイカーの発展版っていうか。且つ、ギロなんで普通にギロっぽいプレイをしても格好良い音が出る

剤電 あとゴジラね

片岡 ゴジラの歩くおもちゃがあって、お腹を切り裂いて中にあるモーターのところにマイクを付けて握ったり離したりすることで、空洞の大きさが可変する。そのことで音が変わるっていう。身の回りのもので演奏をしていた時期ですね。周りのおもちゃとか、周りにあるかっこいい音、かつ高尚じゃないものでやりたいなってずっと思ってたんで。今の曲は髭剃りかな?

岡本 確かに、片岡さんが髭剃り使ってるっていうのもそうなんですけど、ΣさんがM.A.S.F.のペダルをあまり使わないっていう、、M.A.S.F.のペダルを使うとちょっと負けた気持ちになるっていう

片岡 そう!これ作ってるのがENDONってバンドの人なんですけど、ENDONが作ったペダルを俺らが使ったらダメでしょうっていう

岡本 M.A.S.F.のペダルを使うってことはENDONに牛耳られるってことになるんですよ

Σ それファシズムじゃないですか

片岡 そうなんです、ENDON風に言うとファシズム的ペダル!

岡本 もちろん、めっちゃくちゃ格好いいんですよ

Σ うん、最高

岡本 そのために作られてるし、あとバネが付いてる、SCM

片岡 バネにピックアップが付いてる、メルツバウが使ってるやつのちっちゃいやつみたいな

岡本 入力装置になる。それにディストーションなりファズなり噛ませると簡単にハーシュノイズが作れる。っていう機材があって、すごくコンパクトでめちゃくちゃ格好いい。でも俺らが使っちゃダメですよね。戦っていかないと

田中 ENDONの音、流しましょうか?

片岡 いいです!格好いいんで!!次行きましょう!


♬ ELEPHANT NOIZ KASHIMASHI(ver 3.0)



片岡 最後の息の音は、彼が寝ている音ですね

Σ そうですね

片岡 レコーディング中にガチ寝。
これは森でやったライブの時ですね。森っていうのは、多摩美の裏手にある山の中の森で、多摩美術大学芸術祭っていう文化祭があって、三年くらいずっと出てるんですけど

剤電 四年です。全部出てますよ

片岡 え?あ、そっか

剤電 2013年だけ出てなくて、2012年に出た時は5人くらいで爆音出して

片岡 朝一でやった

剤電 苦情が来て終わった。何も残らなかった。で、2014年が山

田中 なんで山になったんですか?

剤電 本当は呼んで欲しかったのに。嫌われていたから、、

片岡 俺、現役だったのに。誰も呼んでくれない。サークルごとに模擬店のテントがあって、、

剤電 部費払ってなくて部活を追い出されたんですよね

片岡 テントに泊まって守衛をやり過ごして朝を待つっていう。それもなんかセオリーっぽい学生ノリ。俺らちょっと悪いことしてんだぜっていう。アイズワイドシャット的な。そういう伝統があるんですけど。
俺の嫌いな女が、「部費を払え」って、夜に突然5000円とか。あるわけないじゃんっていう。追い出したいだけですよね、要するに。っで小林くんと二人、草原に佇んで朝を迎える

剤電 11月の橋本の夜。死ぬくらい寒い

片岡 頼み込むのものも癪だったから。草原?ああ行ってやるよって。それはライブとは関係ないんですけど

剤電 で2014年(件の森ライブの年)も呼んでくれなくて

片岡 一本だけ、友達の展示でライブが決まってて。その前にゲリラで100回連続やろうっていう

白岩 映像ありますよ




剤電 キモ。こりゃ呼ばれねーわ

田中 これは芸術祭の映像ですか?

片岡 祭りから追い出されて、森で勝手にやってる(笑)実行委員にマークされて

田中 学生のグチみたいになってますよ

片岡 あ、ごめんなさい。でも、これが結果的に後に繋がるんです。
さっきの録音の感じっていうのが、場所をどうこうしようって考え出したきっかけの再現なのかな

剤電 それまではライブハウスでステージに上がって、それぞれの定位置でやって終わるって感じだったんですけど、もっと色々あるじゃんっていう

片岡 目線を固定させるのが嫌だったんですよね。客席とステージ。受け手、出し手、みたいな感じが嫌だった。もっと音って俺らだけじゃなくて、例えば空調もあるし、とか考え出した

剤電 それまでは、木を見て森を見ない

片岡 ちょっとわからない例えですね

田中 この頃はお客さんってどのくらい?

片岡 全然人気なかったですね

剤電 森が見ていた

片岡 こういうライブをライブハウスでもやってたんですけど。要はお客さんがいなかったから、モノを撒いたり歩き回ったりとか出来たんです

剤電 なるほど!もう出来ないですね

片岡 嬉しいことですけど。ムクが動くモノを使いだした頃かな

小林 作品のゴミみたいな

Σ この頃、(横浜)中華街のアートスペースでライブを観ましたよ

剤電 初めて会った時ですね

Σ その時もお客さん、全然いなくて。入ったら小松さんに「お客さんですか!?」って。

片岡 さっきの録音はそういう時期の再現っていう意味でやったんですけど。なんか、うーん、でも「これは音楽なの?」って言われる系のものではあるのかな。俺はまだ音楽的な方だと思うんですけど

田中 そう思いますけどね。あえて日常の音を使っている感じがしますけどね

岡本 でも、「面白い」だけでもいいと思うんですよね

剤電 ここからガジェットとか、視覚的にやり始めて、ちょっと注目される様になったんですかね




田中 トイレ工事ライブもこの後ですか

剤電 ここから二年後ですかね

田中 結構後ですね

剤電 そうですね、、あははは、、(剤電、森での自分のあまりのキモい挙動に笑いが止まらなくなる)すいません。ちょうど一年前ですね。トイレは

小林 この時は剤電さんの面白いシーンが多いですね

剤電 お笑いを狙っていたのか、疲れていたのか、、

片岡 剤電、機材があのドラムスティックしかなくて

田中 あ、犬




片岡 アイドルの登場です

客 埋められますよね、この後

片岡 埋めて、掘り返します

田中 この子は今も使っているんですか?

片岡 これはもう壊れましたね。投げたり、バットで打ったりしてたんで

剤電 散々陵辱されて

片岡 ポイですよ。今三代目です

岡本 この時からアンプに頼らないでやろうっていう話が出てきたんですよね

片岡 そうですね。でも最近思ってたのが、こういったものを録音して聞くって行為に、どんな意味があるのかなって。結局雰囲気ものじゃないですか。CDなんてカットされてる訳じゃないですか。沢山の周波数が。そのカットされた先を聴くためにやっているのに

田中 これを音だけで聞いてもあまり面白くなくて。行って観た方が面白いですよね

片岡 そうなんですよね。これ、録ったけど、結果報告に過ぎない感じもありますよね。そんなの阿呆みたいにいっぱい出てますから。
マイキングって暴力的じゃないですか?俺はここを録るんだっていう。
窓ガラスにマイクをつけて録ったCDとかありましたけど、海の音を録るにしても、マイクをどこに立てるんだっていう。バイノーラルで録るにしても結局は人間ありきで、それは環境音でもなんでも無いんじゃないかっていう。人の耳の高さで録っても、聴けない様な位置で録ってみても、本来の自然の音とはかけ離れたものになる

田中 自然の音って言っても、マイキングもそうですけど、結局は聞きたい音しか聴いてない

岡本 そうなんですよね

片岡 イルカだったらなんて言うだろう?みたいな

岡本 僕と片岡さんでも聞きたい音しか聴いてないんですよ。ライブもそうだし、普段の生活でも。どうしようもないって言えばどうしようもないんですけど 

片岡 それを録音してリリースしたってことはどういうことなんですかね?遊びなんですかね。マイクを意識して、近づけたり離したりって。聞こえ方が面白ければいいかなっていう

岡本 環境音どうこうっていうより、僕らの作品として出したってことでいいんじゃないんですかね?

田中 映像なんかは森でどう遊ぶかってことだと思うんですけど、今回はCDって媒体でどう遊ぶかっていうところだと思いました

片岡 結局は上っ面の曲ですよね 

田中 僕、トイレ工事のライブも好きなんですけど、その映像ありますか?

白岩 ありますよ

田中 ここからトイレ工事まで、他に面白いライブがあれば見たいんですけど

剤電 無いです

片岡 面白いものは、無い、、

剤電 撮ってないんです

片岡 コタツでやったのとか 

剤電 それはこの直後ですね。っでこの一年後にやったのが、頂点ポスターの。
手のひらを返した様に




片岡 クソ盛り上がってましたね。お前ら!
部費払え女もいなくて。誰だったか覚えてないけど

田中 トイレの映像を見てもいいですか?




剤電 こういうことをしだしてから、笑ってくれる様になりましたね

田中 場所って四谷アウトブレイクですよね

片岡 そうですね。アウトブレイクのボロボロになったトイレをクラウドファンティングで修理する。っていうのがあって。ここで我々が何をしているかっていうと、
俺のコンセプトとしては、「トイレのお葬式」っていうテーマがあったので、トイレっていうのはいろんな汚れ、大小便なり、ゲロなり、特にライブハウスだと色んなものが混ざり合って、それが一つのストリームとして下水へと流されていく。そういった物を俺らのノイズになぞらえて、供養するっていう。のと、あとエフェクター。使わなくなった歪みエフェクターを供養するっていう、ある種八百万の神的意味合いでそれを捉えて、同時に供養することで、かつてノイズを与えてくれたそれに感謝し、今後の我々の躍進とノイズ文化の発展を願う、みたいなことがあって、それで、祭壇を作ったりしました

剤電 本当はトイレ工事の音を活かしたくて、もっと業者の音が爆音でガーーッてあるのかな?と思ったら無音だったんですよね

片岡 そう。今は時代が進んで。技術が発展して

剤電 10秒くらいドリルを使っただけで。この映像、間があるんですよ。それはトイレ工事の音を活かすために空けてるんですけど。無音だったんで、(メンバーが)挙動不審でウロウロしてるだけみたいな。実質ウチらが四時間演奏したみたいになってましたね

白岩 編集でも組み込むのが大変でした

片岡 最後に岡本さんが作った鍋を食べるんですけど、それが良くて。無理やり熊送りめいたことをしたみたいな

田中 野菜を切っていますね

剤電 あれは誤解されて、面白いからやっただけみたいな。ちゃんと意味があるんですよね

片岡 そうですよ。儀式の最後はみんなで食べるんですよ。まぁ関係ない食材を食べてはいますが。ディストーションで出汁は取れないので。
意味合いとしては最後に供食をするっていうのは、儀式のいいとこ取りでは

岡本 トイレ工事っていうことで、排泄に対して、食事っていう対比があったんですよね

片岡 なるほど!輪廻したディストーションの霊が入っていたんですね!

岡本 やっぱり食べるってことは入れたくて、ちょっとこじつけにも近いんですけど。
映像じゃ伝わりにくいんですが、この時って、お香とか線香を焚いていて、匂いとか温度とかが立ち込めている状態で、それと共に鍋の匂いや熱気が立ち込めている状態。ライブハウスの空気を変えようっていう

片岡 かつ取り込んでいたっていう風にも言えますよね、見立てとして。その空気が煮込まれた物が出されて、みんなで食べて、帰ってウンコするっていう

岡本 (トイレ工事)ライブ中のアウトブレイクにお客さんが入った段階で、異質な匂いだったり、感覚だったり、視覚的にも聴覚的にも嗅覚的にも感じただろうっていう、
映像では伝わりきらないんですが 来場者の方は異質さを感じていたと思います

片岡 あと儀式に使った祭壇っていうのは小松さんの監修で、必要なものを並べた感じですよね




小松 そうですね。古今東西、DIYで儀式をする人たちが使えるものを集めました

片岡 例えば、何でしたっけ?

小松 ターメリック、ファブリーズ

田中 ファブリーズ?

片岡 そうですね。場を清めるみたいな

小松 トウモロコシの粉を使って場を浄化するっていうのはあるんですけど

岡本 南米ですかね

小松 あとトウモロコシって地球上、、あぁこれはいいか。オカルトなんで。
占い師だったので、そういう知識を儀式に活かした感じですね。
あとはお米、豆、種はやっぱりエナジーがあるとされているので。それから酒、セージ

岡本 榊とか  

片岡 あと、塩もかなり使いましたね。俺、勢い余って8キロくらい買っちゃって

田中 では次に行きましょう

片岡 お願いします、これが今に一番近いかな

♬ ELEPHANT NOIZ KASHIMASHI(ver4.0)



(再生途中、ノイカシの轟音に耐えきれず、アンプが飛ぶ)

片岡 もう、喋っちゃいましょう

田中 これはver何になるんですか

片岡 数字的には4.0ですけど

田中 最近のノイズに近い感じですかね

片岡 サイケデリックですよ

剤電 パワーアンビエントです

岡本 これは録った時点(2016年11月22日)での最新のノイズカシマシの音を録ってみたっていう

Σ 今、もっと凄いですよね

岡本 本当にそうなんですよ!今、もっと凄いんですよ!本当に

田中 既に過去なんですかね

岡本 そうです。録音物の宿命として、リリースまで何ヶ月もかかってしまう

片岡 プレスして出すってメンドクセーっつーか、おっせーみたいな。
俺らのやってることが進化していってるから、絶対満足しないし、
だから「過去」を出して良かったかなって。今もっとすげーんだよって。古って

剤電 最新の俺たちが最新。布袋理論ですね

片岡 そうなんです。それを言うために、(DISCOVERYアルバムの)ディスクの裏を外したらライブの写真があって、「ライブに来い」って書いてある。CDを聞いた前提で、音を聞いた前提で、今の現場に来いよって

Σ DISC over Yですからね。最後の警告の、後

岡本 Pop Groupだ!

Σ Pop Groupのファーストが「Y」最後の警告っていうサブタイトルで

片岡 そういうことなんですね!DISCOVERYって、小松さんが言い出したんでしたっけ?

小松 だったかなぁ

Σ 多分、僕です

片岡 DISCOVER、COVERをDISするみたいな意味合いもあって、
女の子を使ってポップさを出すみたいなのもあるんですけど、裏ジャケに機材をいっぱい並べた写真があって、内ジャケでそれに全部ナンバリングして、全部で104つ。
それは「何で演奏したのか?」ってことを明確に言いたくて。
ノイズってやっぱりブラックボックスに過ぎるところがある




田中 ラップトップとか本当にそうですよね

片岡 それで、結局デジタルミュージックになっちゃう訳ですよね。
それが嫌だったし、人力っていう。例えば最初に言ったように、ディジュリドゥの音だったり、人間の限界がある。速く吹くにしても簡単にツマミでBPMが上げられるテクノとは違う。同じ様な低音が出ているとしても。
そういった意味で、覆いを外すっていう、多少は現状のノイズに対するアンチテーゼもありますね

Σ カバーしてるんじゃないよっていう

田中 あとは機材を全部さらけ出しているっていうのは、こだわっているのはそれ以上に大事なものがあるからなのかな?と思いました

剤電 ハートっすよね

片岡 愛です

Σ 機材、超好きなんですけどね

片岡 「発見」っていうのは俺らの歴史でもあるし、それがジャケのLEDが発光してる感じとか女の子のまっすぐな目線とか「アイデアが産まれた」みたいな

岡本 ジャケットに関して言えば、今回は女の子を真ん中に置いている訳じゃないですか。あれはやっぱり、ある程度のチャラさに対しても臆さないっていう話でしたっけ?
それによって手に取りやすくするっていうか。(ノイズ作品のジャケによくある様な)モノクロの死体写真とか、そういったマイナスイメージのものから離れようっていう意識があって。もっとこう、イビザな

片岡 パリピ的なね。もっと単純に、俺がノイズ始めたきっかけっていうか、動機っていうのが社会に爪弾きにされていたとか怒りがあるとか、アジテーション的に、パワーエレクトロニクス的なものではなくて、もっとポップな、単純におもろくね?ってところから、コミニュケーションの延長として始めてるので、縋ってるサブカル対象としてのノイズや音楽、俺にはこれがあるからっていう意識はないんですよね。ポジティブに何かを産み出していく。死んでないんです、誰も。尚且つ女の人をジャケットにしたってことは、これから、また何かを産み出していこうとしてるってことですよね。新しい何かを

岡本 ある意味で言えば、めっちゃチャラいじゃないですか。女をジャケットにって

片岡 そう言っている人も居ましたね

岡本 グラビアみたいな。でも、そこを逆に出していくっていう

片岡 そうですね。何も殺さずに

岡本 だから(このジャケットは)今回のコンセプトに合ってると思いますよ




白岩 ジャンルとか括りとか、そういった閉鎖性がエレファントノイズカシマシには無いと思うので、だけども今回CDを作る際にして、機材は何を使っているとかどういうことを考えているのかって、例えば今回みたいに話をして、ライブの方では、現場で間口の広い、もっと極端なポップミュージックさを出しているけれど、実は思想なり何なりを示すために、こう言った録音物を出すっていうのは意義があるのかなと思いました

片岡 ジャンルっていうよりはもっと体験としてやっていきたいですね現場では。便利に使ってますけどね、ノイズって言葉を

岡本 あと、CDをプレスして出して、それを流通に乗せるっていうのが、ポップカルチャーの側に切り込んでいくっていうか。アングラに止めない宣戦布告というか、そう感じたので、今回のリリースには賛同したんですが

片岡 尚且つ、特殊ジャケじゃないですからね。シンプルで、オーソドックスなプラケースで出して。ただ、表記は全部英語にしたんですよ。輸入盤みたいにしたくて。外部から来た新しいモノなんだよって感じにしたくて

田中 ノイズの作品を出すのって、カセットとか、多いじゃないですか。それをCDで出したっていうのは、流通をさせるっていう意思がある様に、確かに感じました

剤電 カセットなんて誰も買わない。やっぱり音楽好きで、コレクターズ的にカルチャーとして欲しい人は買うけれど、OLは買わないっすよ。流行ってるけど、親はカセットもレコードも聴かないし、モノ文化としてはアリってことなんですかね

岡本 もっというと、MP3のダウンロードコードとかも遠いんですよね

片岡 何が?

岡本 アプローチの距離っていうか、CDの方が当然分かりやすいじゃないですか。ダウンロードまでたどり着けない人もいる。バンドキャンプなんかも、結局音楽好きな人しか使ってないし

田中 だからタワレコとかユニオンで売った方がいい、と

岡本 かつ、CDで(店頭に)置くっていうのが、意味として強いんじゃないかな。
僕らの他にも、それこそ黒電話666っていう…マーク(レーベル)とか、やっぱりCDで出しているし、レーベルのオーナーさんとか、本人が(インタビューで)言っていたように、CDでリリースする意味っていうのを考えてて、やっぱり流通を考えた時に、このフォーマットが一番広範なんじゃないかっていう

田中 あと、一つ聞きたいんですけど、Apple MusicとかSpotifyとかどう思いますか?



片岡 俺はデータって、煙みたいなものだと思っているので。
(フグリ主催)レーベルがPHETISH/TOKYOって言うんですけど、フェティッシュ=呪物。
呪いが込められないと、作品として成立しないんじゃないかって言う思いがあって。
ていうのは、CDなんて、詰まるところデータが入ってるだけの媒体なんですけど、例えば裸のラリーズとか、アンダーグラウンドのものが何であんなクソ高い値段でやり取りされて、今はもうネットで聴けますけど、当時の状況としてモノを媒介としてみんながそれを秘密裏に、本物だぜこれ、、って感じで人の手を渡り歩いてたってことが、いつしか呪いの様なものを纏って、ある種の呪物と化していたのではないかって。そういったモノを再生することの意味って、儀式的な意味合いもある様な気がする。曲を聴きたいからっていうより、その物体が纏っているベールを享受している様な。でもそれを作るためには、モノで出さなければいけない。モノは、古くなることが出来るから

岡本 それは、アウラってことですね 

片岡 そうです。我々はデータを愛せる、抱きしめられるってところまではまだ行っていない。この後どうなるかはわからないけど

田中 でも、いつかはストリーミングの場所をハックして欲しいと思いますけどね

Σ 関係無い話なんですけど 一昨日くらいに小学生の男の子の写真とか動画の児童ポルノをやり取りして捕まったやつらが居たんですけど、そいつらは「オリジナルの動画が欲しかった」って言っていて、データをやり取りして捕まったんですけど、裏DVDが欲しいとかじゃなくて、データで良かったんですよね。まぁそれだけなんですけど

(一同笑)

岡本 でもやっぱりその中に本物性みたいなのがあると

Σ 本当にアンダーグラウンドじゃないですか?持ってるだけで犯罪だっていう。児童ポルノは。だから、裏を返せばデータに価値が産み出されている

片岡 なるほど。データを罰せられるって面白いですね。エンターキーにも重みがありそうですね

岡本 データにも場合によっては、重みがあるんですね

片岡 そういうリリースのやり方をしようと思ったりもしましたよね

岡本 え、違法にする?

片岡 違う違う(笑)例えば、音源データ500MBなんだったら、500gで出すっていう。
でも、あるよねそれ、多分

小林 データのモノ感っていうことで、友達からUSBでもらった音源のデータと、youtubeから音だけ落としたデータのモノの感じって絶対に違うから、データにもあくまでモノとしての扱いって絶対ある



片岡 その感覚の瀬戸際に居るっていうのが、あるんじゃないですか?

小林 瀬戸際?

片岡 言ったら、今はyoutubeにほぼ全ての音楽がある訳じゃないですか。無いものもあるけど、ほぼ全部ある

岡本 例えばノイズとかでも、レアって言われてるLP限定の音源とか大抵ありますね

片岡 世界がipod化してる

岡本 違法かどうかは別として、聞こうと思えば聴ける。その中で僕らが何をどうやっていくかですよね

片岡 先のことを言うとしたらね

岡本 でも個人的には気軽にアクセス出来ることは大事だなって思っていて。ラリーズみたいな扱いをされるのは嫌なんですよね

片岡 まぁ、俺もそれはそんなにだけど

岡本 カセットで出すのと一緒なことじゃないんですかね

剤電 希少性を出すって、§✝§っていう

片岡 あっ

剤電 架空のインターネット宗教みたいなバンドがいて、活動の一環として、試験管の中に液体を入れて、その中にUSBのコードだけを入れて、展示で売るっていう。
それを「遠い駅のロッカールームに入れています」って。で、買った人はそれを取りに行かされる。10個出して完売だったんですよね。大阪から買いに来る人もいて。
馬鹿っすよね、 面倒くさくないですか?

片岡 俺らも座標をリリースするみたいな事を言ってましたね。山とか滝とかに行かせるみたいな

田中 やらないんですか?

片岡 何かであったんですよね

小林 ネットアートとかやってる人は結構そういうのをやってて、壁にUSBが埋め込まれて、直接パソコンをあてがって現地でデータをダウンロードするっていうのが各地で頻繁に行われている。そうやってフィジカルにデータを落とすみたいなのが、流行っていた

剤電 データの重みの無さをフィジカルで補う

片岡 ポケモンGO的なね

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片岡 なにか質問ありますか?
みなさん、今日のトークを聞いて、ノイズって面白いって思いましたか?

(一同笑)

岡本 めっちゃ怖い質問

客 面白いなって思いました。僕はノイズの知識ってないんですけど、一曲一曲の住み分けもされていましたし、普通に感動しましたね。皆さん色々と考えているんだなぁと。でもそういうことを抜きにしても楽しめるものだな、とも思いました

剤電 でもそういう単純な格好良さって絶対で

片岡 ロックですからね、俺らは

剤電 僕はそういうのしか要らない

片岡 格好良いにしか興味がない

剤電 この前、割と満員の中でライブをやっていて、動きとか過剰なんでこういうことを(胸をドンと叩く)ビジュアル系が好きだからやったりするんですけど、そうしたら初めて来た、最前で観てたのび太くんみたいな子が、同じようにドン、、って返してくれて。
そういう人凄い好きだし、そういう人の為にやりたい

Σ めっちゃいい話

片岡 目標は、iTunesのジャンルって項目があるじゃないですか?ロックの項目のデザインにストーンズのベロがあったら、それは確かにそうだねって感じ。
で、ノイズって言えば俺ら、みたいな。
ノイズって言って続けていくんなら、そこまでジャンルにこだわってる訳じゃないけれど、代名詞にならないと。
ノイズなんて普段聞かないけど、って人が押さえとくものとして、まぁこれが一先ずノイズなんだなっていう。
それが俺らだったら金になるんじゃないかな(笑)って。=俺らってなれればね。
だから色々音源を掘り始めたら「まだノイカシなんて聞いてんの?(笑)」でいいんですよ、入り口になれば。
恥ずかしいモノになっていいんですよ。ゴイステ、ブルーハーツです

岡本 ジャズだったら、マイルスみたいな。そういう存在になれたら嬉しいですよね。タンゴだったらピアソラだったり、、そういったデファクトスタンダートになれたら、強いじゃないですか

片岡 ツアーに行くとそういうこと、結構ありましたよね。普通にロックバンドと対バンして、たまたま観に来てたお客さんが話し掛けてきて「こんなの聞いたことないです!」 って仰ってくれて。
ちょっと意外でしたよね。俺らとしてはそんなに(ノイズの文脈の中で)特殊なことをしている訳ではないのに。
でも、その「初めて」をもっと体験として昇華する事ができたら、新しいエンタメになれるんじゃないかなって思ってますけどね

岡本 今、ノイズって検索すると何が出てくるんでしょう?

田中 非常階段、メルツバウ、インキャパシタンツ、、

片岡 そうなりますよね。もうその三つ同時に流したのをレコーディングして、リリースしてやろうかなと思ってましたよ。やんなかったっすけど

岡本 二度とここで生きていけなくなる(笑)

片岡 まぁでも界隈にペコついてくのって嫌だから。俺らは俺らでっていう意味合いで、ど真ん中を狙いたい 

岡本 界隈には僕らはあんまり、、

片岡 入る必要もないし、明らかに無視されてますから

小林 チャラいやつらって思われてる

岡本 名前もやってることもね

片岡 流通とかも割と数出たんですけど、もろシカトっすからね。知ったこっちゃないっすけど

岡本 そういうチャラさはアリかなと思ってるんですけど

片岡 みんな恥ずかしいけど、スピッツ好きだろ!って

(無音)

片岡 すいません

小林 暴言ですね

剤電 70年代に、パンクで、Sex pistolsとかCLASHが持て囃されてる時に、Stranglersってバンドが、あんまり知られてないんですけど、ダントツに売れてるんですよ。イギリスで。
でもあんまりメディアには取り上げられなくて、国民的に聴かれているのに、イギリスのジュークボックスにStranglersが入っている。異質だったんですよ、サウンドが。
年齢もちょっと上だし、スリーコードじゃないし みんな引いて見てたけど一番売れてて、今も前線でやってるんですよ。だから、いいんじゃないんですか

岡本 ニューウェーブとかもそういうのありますよね。本当にニューウェーブ好きな人たちとちょっと離れてる 

片岡 尚且つ俺らは食ってかなかきゃいけないんでね

岡本 Avenged Sevenfoldってチャラいメタルバンドがいて。俺たちはティーンズの為にメタルやってるんだって聞いて、めちゃくちゃいいこと言うなって

剤電 BABY METALを、Napalm Deathのショーンがすごく褒めてた。「それが入り口になればいいじゃん」って 

片岡 アイコンに過ぎないかも知れないけども。
でも、BABY METALってプロジェクトじゃないですか。Sex pistolsと一緒ですよね。BABY METALってpistolsですよね?

剤電 それはちょっと、、怒られるんじゃないかな

片岡 でも、プロデューサーが付いてて、可愛い娘を集めて、曲を誰かに作らせて

剤電 ピストルズは、作曲自分たちですよ

片岡 でも、プロデュースの賜物じゃないですか。服装もヴィヴィアンとかで

剤電 BABY METALからP.I.Lは産まれなくないですか?

片岡 やっあっそ、あ、、

岡本 めっちゃ強いこと言いますね

剤電 そうなったらめっちゃ格好良いですけどね

片岡 ジョンライドンが天才だったから

剤電 今で言うと、テンテンコじゃないですか

片岡 言おうと思ってやめました。うーん、でもちょっと違うのかなぁ

剤電 まぁP.I.Lはジョンライドン一人じゃないですけど

岡本 今の僕らの売り方って、それこそAphex twinのロゴのパロディ、パクリだったりとか、今回のジャケ、バンド名だったりとか、ある意味露悪的なところがあるじゃないですか。それを自覚して、武器にしていくって大事だと思うんですよね。ここに無責任であるって、不誠実だと思うので



田中  一旦まとまりましたかね

岡本 最後にこの先の話をちょっとさせて欲しいんですけど、今回の音源なんですが、(今日は)最後まで聞けてないんですけど、今までの変遷をまとめたものをリリース出来たと思うんです。けど「今の方が格好良い」っていうのが、僕らの共通の意識だと思うんですね。
で、この先、もっとコンセプトを廃した、単純に「音」が格好良いものを、僕個人は出したくて。いつ聴いても良いものを。それを強く思います。金字塔を建てましょう。文字のいらない。再生ボタンだけが必要なものを

片岡 そうですね、これからもやっていきます。次は現場でお逢いしましょう。
ありがとう御座います、エレファントノイズカシマシでした。

(平成29年2月11日 北千住トーチカ)