2017年8月14日月曜日

サヴァイビングカスライフ vol.9 (ライブ喫茶亀 メルマガ七月号)


府中美術館へ、美術家の狩野哲郎さんの展示を観に行ってきた。
室内にはカラフルな釣りウキや針金、瓶やスーパーボール、ベッドの足や木材を組み合わせたオブジェが林立している。
調べてみると、狩野さんは「ギャラリーに鳥を放った」アーティストとして有名らしい。

人間の目を通して見ると、「これは何々だ」という意味や用途を判断する知的フィルターが必ず入る。
しかし、鳥の目線ではどうだろう。ゴムホースや、食器、自然から持ってきた枝でさえも、鳥からすればただの「かたち」で、彼は自由自在にそこを飛び回るだけだ。

エレファントノイズカシマシというバンドを自分はやっているが、我々が演奏に使うのは、おもちゃや髭剃り、ギターが出すハウリング音(ピーーという、朝礼、運動会などでたまにやらかすアレ)、鉄骨を組み合わせた自作楽器などだ。そして、会場そのものの音(お客さんの呼吸や動作に伴う音、遅れて入ってきた人が立てる音)も常に意識している。

とは言え、ステージに立つ以上の身だしなみや、光を使った演出などを含め、「出る音」が全て、とまで言い切ることは出来ないし、既成の楽器も使ってはいるが、本来の用途とは違う使い方も演奏には取り入れている。

先日、法政大学で行ったパフォーマンスで、演奏にノートパソコンを使った。
冒頭、学生を含めたお客さんがそれぞれのコミュニティで固まって談笑などをしているところへビニールテープを持って侵入した。
ビニールテープは、会場の真ん中に置かれた小さなフェンスにぐるぐる巻きになって繋がっており、そのフェンスを宙に浮かせる為に会場の各所、柱やスピーカーなどあらゆる場所へ張り巡らせた。
散り散りになった人々の真ん中、フェンスの真下に、周囲の音を取り込み、搭載のスピーカーからそれを反復し音を出力するソフトを開いたパソコンが置かれ、そこから我々の演奏が始まった。

ロックバンドは「自由になれ!」「解放しろ!」とステージから叫ぶが、結局は群衆となった客が「イエーイ!」や「フォー!」という決まり切ったフレーズをほぼ同時に唱えるだけだ。
もちろん、「人」と「人」という関係性やバリアみたいなものをある程度までは取っ払うことが可能で、その行為は意味のないことではない。

だが、我々のやっているのは「ノイズミュージック」である。

自分のリアクションで出来るだけ純粋に聴き、各々のタイミングで自由に反応をしてもらうには、無理やりにでも一度は一人に、「耳」になってもらわなければならない。
しかしながら、鳥ほどの自然体には成りえない我々は、さながらデータや文明、知識が詰まりに詰まったノートパソコンみたいなものだ。

純粋な「音」そしてそれを聴くという体験はどこにあるのだろうかとずっと考えている。
例えば海の音を録音したものを「自然」の音だ。と呼んだとしても、
結局はマイクを設置する際に「人間が聴く」ことが想定とされ、設置場所や音量が調整されている。
また、録音された自然音を再生するにもスピーカーないしはヘッドフォンが必要だ。
では、現場、海そのものに行って聴く音がそうなのか?と言ったところで「これは海の音である」というフェンスを取っ払うことは出来ない。

今回の展示に感じた勝手なシンパシーは、そんなジレンマを彷彿とさせると同時に、
「間違ってねーじゃん俺のやってること!」という勝手な背中押しにも解釈できた。
「鳥が見ているもの」を想像できるのは人間にだけ許されている行為であるし、「純粋」な「音」そのものを追求することにどこまでいっても果てしない可能性を感じるからだ。