2017年9月4日月曜日

「サヴァイビングカスライフ vol.10(ライブ喫茶 亀 メルマガ八月号)」


朝5時、始発電車のその次までに乗車しなければ間に合わない。
品川からはバス。言葉を交わす訳でもなく、タバコ、新聞、アプリ、茫然。
ロータリーでは男たちが、それぞれの早朝をこねくり回している。

20分ほど乗車し、コンテナが林立するバス停を降りた近くの営業所から、
4トントラックの助手席に乗り換え、向かうのは川崎、横浜、栃木、甲府、聞いたこともない町の一丁目や二丁目。
見知らぬ街のコンビニや工場、できたてのオフィスに、荷物を運ぶ。

最近、たまに入っている仕事の話。

車内で大切なのは寝ないこと。
朝5時に電車に乗らなければならない以上、必然的に4時には起きていないといけない。
忙しく、前夜寝ずにそのまま行くこともあるが、トラックにただ揺られる、下手をすると三時間の片道を乗り越えられるパッションは俺には無いので、出来るだけは寝ておく、とは言え朝はいつだって眠いのがセオリー。
一度、落ちしてしまった寝起き「仕事中、だからね」とその先は気まずい一日を過ごすことになった。

当日まで分からない担当の運転手がおしゃべりだった時、これは楽しいし、眠気も飛ぶ。お互い眠たい身、仕事の半分は会話と言っても過言ではない。

長距離に乗っている人は隙間時間を、考え事や趣味に使っていることが多い。
プラモデル、喫煙パイプ、陰謀論マニアの人。
引っ越しなどの肉体労働の現場はパチンコ、携帯ゲームの話題で持ちきりで、特に話すことも興味も無いが、トラックの運転手には面白い人がたくさん居て、聞いているとかなり楽しい。

しかし、時にはストイック(よく言えば)で、何も喋らない人と一緒になることもある。
高速の長い長い一本道。「寝てていいよ」の一言をもらえれば救われるのに、世間話もしない人は、余計なことも言わない。

そんな時は眠気覚ましに、ずっと外を見ている。

オレンジ色のパラソルを差したままの庭、授業中で誰もいない中学の校庭、干上がった川にかかる赤い橋、草にまみれ放置された小さなショベルカー。
聞いたこともない、何でもない街の、けれどなんとなくいつか見たような光景に懐かしくなって胸がいっぱいになってしまう。バイパスの上からそれを見下ろす。

そんな時、ここに産まれていたら、どんな風に生きていたろうか?と思う。

クリスチャン・ボルタンスキーという、匿名の写真や、大量の衣服を使って、記憶、痕跡を題材にした作品を制作するアーティストがいる。

数年前に東京の庭園美術館で行われた展示では、床一面に敷き詰められた藁の真ん中に大きなスクリーンが置いてあり、森の中や砂浜に大量の風鈴を吊るした、祈りや鎮魂をテーマとした映像が投影されていた。
踏みしめるたびに立ち昇る藁の匂い。ある文化圏の人には、何かを想起するには持ってこいの素材に違いないのだろうけど、日本で産まれ育った自分にはあまり馴染みのないもので、正直、ピンとこなかった。
それでも、彼のやろうとしている事にはとてもシンパシーを感じて、ずっと頭の隅に残っていた。

数年経って最近、「クリスチャン・ボルタンスキーの可能な人生」という本を偶然、図書館で見つけたので借りて読んでみた。

「存在を示すことは、その存在の不在を示すことでもある。(クリスチャン・ボルタンスキーの可能な人生)」

トラックの窓から見る光景、ここで産まれていたら、という夢想は、前人未踏ではない以上、きっと誰かが、いつかはそこにいて、そして何らかの思い出がそこにある筈だからこそ成り立つ。 そして、その誰かはもう居ない。自分にとっての思い出が、いつだって遠い昔なのと同じ様に。だからそれを想像し、思いを馳せることが、過去、瞬間を確かに暮らしていたということ、そして、生きてきたということの確かな証明になる。

山へと続く小さな川、公園の不思議な遊具、ずっとあり続けている独特なセンスの婦人服屋、いつから閉まっているのか分からないラーメン屋。


それらのひとつひとつが、自分にとって、また、誰かにとっての痕跡のモニュメントなのだ。