2018年4月20日金曜日

トークアバウト・エレファントカシマシ 後編



に引き続き、エレファントカシマシ、及び宮本先生への考察を深めて行こうと思う。

先に断っておきたいのだが、今回の文章は十作目『愛と夢』を一応の目処として纏めようと考えている。
理由は何点かあるが、本論はバンド、そして宮本先生にとっての「初期」エレファントカシマシとは一体、いつからいつまでを指すのか?を新たに提示するのがその主目的だからだ。

勿論、ファンの間ではデビューから最初の契約解消まで、
(一作目『THE ELEPHANT KASHIMASHI』 ~ 七作目『東京の空』)を節目に
「エピックソニー」時代と総称し「初期エレカシ」として括るというのが定説であり、筆者もそれは承知している。

レーベル移行に伴うサウンド、歌詞世界の変化、そして何より状況を一変させ文字通り栄華を極めた「今宵の月の様に」大ヒットに伴う華やかなりし時代周辺の諸作品を、前回ご紹介した『生活』といった音楽的、内容的にも極端に私的(且つ何より詩的)な作品、そして今回ご紹介する『5』『奴隷天国』などと一絡げに括るのは無理があるんじゃないかというご指摘は、何ら間違ったことでは無い。

しかしながら、敢えて筆者は『愛と夢』までを持って「初期エレカシ」をここに宣言したい。以下に、その理由を説いて行こう。
長くなってしまうかも知れないが、時折音源や映像を参照頂きながら、
お付き合い頂けると幸いだ。


さて、本題に入ろう。
四作目『生活』に於いて詩作の頂点を極めた宮本先生であったが、
2年のブランクを経て発表された五作目『エレファント カシマシ5』では、前作前々作と続いた文学調による「詩」を中心としたある種の「格調」を持った楽曲傾向はややなりを潜め、サウンドもロック的軽快さ(ギターリフへの回帰)をある程度取り戻し、伴う歌詞の内容も、より卑近なものへと変化を遂げている。

個人的な話になるが、この作品が一番好きだという方(主に男性)を筆者は何人も知っている。
かく言う筆者もその中の一人で、或いは「好きだった」と言うべきか。いや、出来れば「そう言いたい」と述べた方が正直だろう。
それはこのアルバムの冒頭「過ぎ行く日々」のイントロを聴き、詩を読んで頂けるとある程度の理解が出来るかと思われる。

「過ぎる日々よ、教えてくれよ。
この俺にも生活をどうか。
教えてくれよ。俺には待ちのぞむ日々のありしことを。
さあ、待ちのぞむ人があると。
希望ありしことを。
(過ぎ行く日々)」

例えば、あらゆる希望を胸に始まった学生生活。しかしながら、何かどこかが上手くいかない。いまいち乗り切れず、身の入らない日々。思い描いた「大学デビュー」を果たせなかったという焦燥と、未来への漠然とした不安。それでいて、それなりに(親の支えや学生という身分もあり)安定はしているようにも見える毎日。

「俺の生活は 無事なる我が暮らしと、ひまつぶし人生。(ひまつぶし人生)」


「やりたい事が見つからない」という言葉の裏には、「俺は何でも、やれば出来るんだ」という若さゆえの「きっと己は特別な何者かである」という(根拠の無いが故に日々刻々と明滅する)自信が見え隠れする。
それは「待ちのぞむ日々」が、そして「待ちのぞむ人」がきっと、何処かから「現われ」て、そんな現状を変えてくれる筈だという他力本願な(願望に近い)期待に依拠する。

冒頭に引用した「過ぎ行く日々」の、永遠に続くかとも思われる重いギターリフは、そんな行き場の無い若者特有の倦怠感を見事に表現している。

だからこそ、この(できれば思い出したくない)やるせないリアリティが、痛く、そして堪らなく愛しいのだ。
故に「好きだった」(「今は抜け出したけどね)」と自分は伏し目がちに言いたくなってしまうのである。

同様に、上記に例えた様な「モラトリアム」と呼ばれる学生時代、又はそれに類する日々を一時でも過ごしてしまった、又はその渦中におられる諸兄には、(鈍痛を持って)複雑なこの感情をご理解頂けることだろうと思う。

「何かが起こりそうな気がする、毎日そんな気がしてる(四月の風、八作目『ココロに花を』収録)」と先になって宮本先生は歌うが、そこへ至るまでのさながら「五月病」と呼んでもいい「ぬるま湯」の様な毎日を、24、5歳にしてやっと一人暮らしを始めたばかりの彼も過ごしていたのかも知れない。


補完する意味でもここで、当時を記録した貴重なライブ映像、そして何よりその後のオフショット、『5』収録の歌詞をもう一つ、見て頂こう。





「働いた疲れて寝た 働いた疲れて寝た ああ 夢を追わなきゃならない(何もなき一夜)」

結婚を控え、家庭を構え始めるメンバーも居る中、彼らにとっての「音楽」要するに、「夢」は当時、「仕事」としての側面を大きくしていた様に思える。

その合間の、まるでサークル室での一瞬を切り取ったかの様に自然に「麻雀」に興じる彼らの姿は、ほんの息抜きを越えた「理由もなく、ただこいつらと音を出すのだけが楽しかった」というかつてのバンド活動への懐古の様にも見えてくると言うのはいささか暴論だろうか。


エレファントカシマシというバンドの特異性の一つとして挙げられるのが、所謂、インディーズ時代を経ることなく(ライブハウスでの演奏や、オーディション回りなどは行っていたが)メジャーデビューという、時代背景もあるだろうが、ある種のバンドによっては一つのゴールへと置いてしまう場所から、その本格的な活動を開始しているという点だ。

これはある意味で、言葉は悪いが、彼らをそして宮本先生を「働く人」や「デビュー以前の売れないバンドマン」としての社会経験や下積みを経る前にさながら「温室」へ閉じこめてしまった効果も結果的にはあったのではないだろうか。
鳴り物入りのデビューから数年、いつしか「売れて当たり前」という自負は打ち砕かれ、残されたのは「仕事(音楽)」をこなす、それでいて、一般的に言われるサラリーマンとして働く人々とは一線を画した、結果も出せず、先も見えない、暗渠たる「過ぎ行く日々」だったのである。

そうして、当然の様な登場と、待ち望まれて当たり前だと考えていたリリースやライブ活動が、徐々に白けたものに感じられてゆく。

勿論、この程度の「挫折」は誰しも体験する事なのであるが、エレカシが特異なのは、前述した様にその「早過ぎる」デビューが故に、その葛藤の全てを(恐らく契約の関係などもあり)楽曲にそして詩作として作品に顕し続けてきたということだ。

だからこそ良くも悪くも(結果的にではあるが)本論を記す事が可能となったのであり、奇跡の様な名作『生活』なども誕生した訳である。


さて、六作目『奴隷天国』に於いて、エレカシ「原点回帰」が伺える荒くれたパンクサウンドには前述した様な「温室」よりの離脱の意思が感じられる。
しかしながらそれは、

「あてなき気迫垂れ流し 動かぬ身体持て余し(太陽の季節)」
「つらき本日あてなき気迫 力なき日々生身の体 失せ行く気力
太陽の季節 遠き真実(太陽の季節)」

といった様な、「だって、やるしか無いんだろう」「知らねぇよ、どうしようもねぇんだよ」というある種の「開き直り」であった側面が大きい。
如何様にも解釈出来うる「遠き真実」とは認め難いその現状を示唆しているのかも知れない
当時の、何とも噛み合わず、本音を避ける様なインタビュー記事からもそれは読み取れる。

ここで、ロッキング・オン94年8月号の久保憲司氏による記事を引用したい。

「宮本は本当は”奴隷天国”なんて作りたくなかったと思う。(中略)完璧なる作品が観客を動かしアーティストを踏みつけのし上がっていく瞬間を延々と待っていたのだ。(久保憲司 ロッキング・オン94年8月号)」

時代のせいかも知れない、(考えたくないが)ひょっとしたら己の才能のなさ故なのかも分からないが、兎にも角にも当初の「あて」は外れ、それがセールスや観客動員という結果として現れる。
思い通りにいかないその掛け違いが、徐々にバンドを、そして生活の首を絞めていったのは想像に難くないだろう。

結局のところ『5』と同様にこのアルバムに於いても、激しいサウンドに彩られながら、「日々」「毎日」「いつものとおり」という「果てしなき」生活が歌われているのである。
(故に、アジテーションとしての表題曲「奴隷天国」のセンセーショナルな魅力はアルバムを一望するに、何処か場違いで、浮いたような印象を与える。)

さて、これら停滞とも言える時代を経て、傑作と呼ばれる七作目『東京の空』にてバンドは大きな転機を迎えることになる。

「ありふれたことがいい そうさ
いつもと同じならいい
さりげない方がいい
花に水をやればいい(東京の空)」

このアルバムに於いて、上記の歌詞や、「誰かのささやき」という楽曲にも象徴されるように、宮本先生が獲得したのは「他者」の存在である。

かつて、「お前は何故に生きている」「小さき花を見るために」(遁世)
と歌い、近作に於いても自問自答を繰り返していた彼が、表題曲では、なんと「花」に「水」を与えているのである。
(このモチーフは今後重要となってくるので、覚えておいてほしい)

とは言え、引用部以外の全体を見渡すと、その様な状況を揶揄している様な歌詞にも読める。
だが、かつて「絶対の美」として見るだけに留めていたモノに対する、「介入」が歌われていることは事実である。
正面からの表現では無いにせよ、自分にしか分からないけれど何より「美しい」と思えるもの(小さき花)へ「水をやる」事で関わりを持ち、触れ得る場所まで今一歩近付こう。という無意識下での変化がここからは読み取れるのだ。
同様に、「ありふれた事がいい」「いつもと同じがいい」「さりげない方がいい」という歌詞からも、(例えそれが揶揄であったとしても)前作前々作を通して語られた「普通の日々」に対する焦燥、個的な憤り、自問自答から、より大きな「でも、みんなそうだよな」という「他者(及び自分)への許容・共感」を経る事で、「東京の空」の下に生きるもの同士、今はまだ「ああ街の空は晴れて ああ人の心晴れず(東京の空)」かも知れないが、(共に)頑張ろうじゃないか。「つまらなかった今日はおしまい 明日があるのさ(明日があるのさ)」という、雲間から差す光の様な一抹の希望を看取することが出来るのである。

以上のことが、この作品が「エピック時代」の到達点として「傑作」と呼ばれる所以である。

勿論、前回の記事にも書いた様に、サウンド的にはこのアルバムに於ける、
(我々の世代からすると感じてしまう)居心地の悪さは、時代に合わせた事によって良くも悪くも出てしまっている。
しかしながら、当時としては「正解」であったろう録音や、意識的に入れられた楽曲以外、つまりバンド(エレカシ)以外のサウンド、「もしも願いが叶うなら」に於ける鐘の音や雑踏のサンプリングなど)は今となっては多少のケレン味を持って聴こえるものの、それは作品としてのクオリティを上げよう、そして聴く人を楽しませよう、という「工夫」だとして大いに理解出来るのである。
盛大に迎えられたサポートメンバー(トランペット、キーボード等)の存在にも象徴的にそれが表れている。

いずれにせよ、このアルバムを持ってエピックソニーとの契約は解消の憂き目を見るが、「他者」という「仲間」を手にした彼ら、及び宮本先生には、それはさほど大きな問題であったとは思えない。
(次作のリリース元レーベルが決まるまでの間の貴重なライブ映像が残されているが、ここに見られるのは今迄とは考えられない、観客を意識し「盛り上げよう」という趣向に(多少空回ってはいるものの)溢れた彼らの姿である。
同様に、「契約切りやがってバカ野郎」と、当時下北沢シェルターで行ったライブの際に宮本先生は悪態をついているが、後に、「そう言うと、客が喜ぶんだよね」と語ったインタビューから、これもパフォーマンスの一環であったと受け取って良いだろう。また、この辺りのライブより今に繋がる「エビバデー」といった、場を盛り上げる宮本先生特有の「煽り」も見られ始める。)

むしろ、制作時に「契約解消」がささやかれた『東京の空』であったからこそ、「やっぱり音楽しか無い(し、それは一人では出来ない)」という意思を固め、気付く為に必要であった、「支えられていた自己」を知ることで、ある種の「一人立ち」へ到る為の、それは通過儀礼であったと言えるのでは無かろうか。

そして、96年、レーベル移籍後(ポニーキャニオン)第一弾、佐久間正英氏(元 四人囃子)をプロデュースに迎えた八作目『ココロに花を』の登場である。(年間チャート10位)

今作では、前作に於いて手の触れるところまで接近した「美」を更に、「ココロ」=「内」に秘める、つまり「絶対の美」を「デザイン」し、より分かりやすい形で見せる事に成功すると同時に前作以上に他者の介入を許し、楽曲を今まで以上の「ポップス」へと昇華する事が叶った。

(象徴する様に、ジャケットには一輪の花も、花びらさえもない。何故なら花は見たまま咲いたままのそれでは無く、内面に、つまりココロにこそあるのだから)







勿論、その移行はスムーズに行われた訳ではなく、楽曲・サウンドの変化に対する違和感に、完成した作品を聴いていた宮本先生がそのウォークマンを路上で叩き壊してしまったというエピソードが有名だ。
しかしながらそれも、前述した様な通過儀礼の一種であったと言えよう。

証拠に、それを経た先のある日、立ち寄った書店に偶然居合わせたエピック時代からのファンより「最近の曲には昔の曲にあった何かが感じられない」と言われたものの、宮本先生としてはその体験、感想を「嬉しかった」と後にインタビューでは語っている。
そんな彼に見られるのは、通過儀礼を経て、もはや変化を恐れなくなった、一人の「大人」の姿である。

「振り返れば 誰かの声 誰かの影
どこまでも ついて来る 世間の影
つかまえて 勇気づけて 俺を
(孤独な旅人)」



そして遂にエレカシは、九作目である『明日に向かって走れ』そして伴うシングル「今宵の月のように」に於いて、大ヒットの偉業を成し遂げる。
(アルバム、年間チャート2位。シングルはオリコン月間9位という華々しい結果である)

バンド史上最大のヒットソングとなり、最近のライブでは「皆さんにとってはどうか分かりませんが、我々にとっては大切な曲なんです」という照れた様なMCから始まる「今宵の月のように」は、
もはやクラシックと化し、筆者としても「もう聴かなくてもいい曲」と(恥ずかしながら)位置付けていたが、今回お話を頂き、改めて腰を据えて聴き直してみると、まず驚いたことのに、この曲は「サビが低い」のである。
一体それがどういうことなのか、少し説明をしよう。







エレカシ、そして宮本先生のこれまでの楽曲メロディーの傾向からすると、どうしてもサビが高過ぎて歌えないものが多かったのだが、(エレカシの曲は概ねキーが高く、この曲もAメロBメロと一般的基準よりかなり高い音程での作曲がなされているのだが)
おそらく、一番耳にし、口ずさんでしまうであろう、冒頭「下らねぇとつぶやいて」サビ「今日もまたどこへ行く、愛を探しに行こう」と言った親しみのあるフレーズの箇所が、軒並み鼻歌仕様とでも呼ぼうか、非常に歌いやすい音程で作曲されているのである。
前作『ココロに花を』リリース時のインタビューを引用すると、

「コンサートでやってて、盛り下がるのがすごいつまんなくて、(中略)、楽しく歌ったりとかして帰って欲しいなと思ったところもあります(ロッキング・オン・ジャパン 96年12月号)」という、
かつて演出と言えども「拍手」を禁じていたバンドからは考えれられない様な開けた言葉が飛び出している。
確かに、この曲なら歌える。
勿論、メロディーやアレンジも素晴らしいのだが、その「計算」が読み取れた時、自分はなんとも言えない幸福感に包まれた。

そうだ。これこそが「顧客」を意識した、歌って楽しんでもらう為の「デザイン」。そして、「ポップス」なのである。
他の誰にも歌えない様な、孤高の音楽を奏でていたエレファントカシマシが、「口ずさめる」に辿り着いたという事実。
それが故に「今宵の月のように」は今なお不変であり、偉大なるクラシックなのである。

さて、そろそろ結論に入ろう。
まずは次作『愛と夢』から、「はじまりは今」の末部をご覧いただきたい。

「迎えに行くよ町に咲く花を
君の両手に届けに行こう(はじまりは今)」

重複するが、かつて「お前は何故に生きている」「小さき花を見るために」(遁世)と露骨な美を歌っていた男が、そんな「花」に水をあげることを(無意識ながらも)直喩的に言葉にし、更にそれを「ココロ」に秘め、メタファーとしてデザインする事を覚え、最終的にそれを「君の両手に届けに行」く余裕までをも手にしたのである。
これを「成長」と呼ばずして何と言おうか。

(筆者はこの結論へ至った際、思わず「30代、愛する人のためのこの命だって事に あぁ気付いたな」(俺たちの明日 十七作目『STARTING OVER』収録)」と歌い出してしまった。)

前作前々作に於いてメロディーとして結実したポップスが、十作目にして遂に、歌詞、そして宮本先生の精神の面に於いても完成したのである。

これを持って、「エレカシ初期」そして、宮本先生の「成人」は完了するのだ。
今回のトークショーで自分が何としても伝えたかったのはここである。

とにかく、(先ほどは少しく悪いように言ってしまったが)早くに彼らをデビューさせてくれたレコード会社に感謝(と同時に過剰な諸作品に(内情は知らないがひとまず)OKを出し続けてくれたという度量の大きさへの賛辞)であり、その折々の感情を余すところなく楽曲へ昇華させ続けてくれた宮本先生、そして何より、時にバイトで生活費を捻出しながらも「辞めないで」いてくれたメンバーの方々に、大きな拍手(そして出来れば赤い薔薇いっぱいの花束)を送りたい。

とは言え勿論、この成長(『ココロに花を』以降)を機に、離れてしまったファン(上記の書店でのエピソードの様な)も居たことだろう。
だが、それは致し方のないことなのである。
いつだって、友人の成功は悔しい。そしてそれ以上に、手放しでそれを誇り、讃えることができない自分が何よりも悔しいのだ。
離れて行ってしまった彼らにとってのエレカシとは、夢を語り合い、そして時に口論し、また、涙し、互いに慰め合ってきた親友同士だったのであろう。
だからこそ、モラトリアム、或いは温室であったあの時間が愛しく、そしてそれを抜け出す事が適った者が羨ましく、裏切られたようにも感じてしまい「さらば青春」という言葉を受け入れることが難しいのだ。(これは筆者の一方的な主観と、かつての己への意見であり、そうでは無く単純にエピック時代の楽曲を愛していたファンの方には当てはまらないと付言しておく)

しかしながら、男と男の付き合いとは、得てしてそういうものなのである。
勘違いのない様に記しておくが、それが(男の)ロマンだからと女性を蚊帳の外に置いて遠い目をするつもりは毛頭無い。エレカシ(特にエピック時代)を前にする時だけは、男女の垣根はなくなり、一様に皆ひとりの「男」となるのであるから。


さて、長々と語ってきたが、筆者はここでひとまず筆を置こうと思う。
今後の諸作品への考察も、一応は深めているのだが、いかんせん28歳になった(温室を抜け出たと思いたい)ばかりの若輩者に出来るのは、サウンドの読み取りとエピソードを交えた解説くらいのものである。
実感(そして幾ばくかの反省)を持って語れるのは、残念ながら、ここまでだ。

いつかまた、今回の様なイベントを開くこともあるだろう。それまでは音楽家・タレント・レーベル運営者、そして何より一人の男として、成長した姿で皆様の前に立てる様に日々を邁進していきたいと思う。

最後になるが、きっかけを下さった加藤氏、貴重な機会を設けて下さったLoft Booksの小柳氏、トークショー当日にご来場を下さった沢山の方々、相方を務めてくれた剤電氏、そして、拙い文章を最後までご拝読下さったあなたに、精一杯の賛辞と感謝を送りたい。

おかげで、有意義な日々を過ごす事が出来ました。
ありがとう。

そうして、前にも増して俺はエレカシが大好きになってしまいました。


さぁ!共にかけ出そうではないか。
レッツゴー明日へ、
そして、笑顔の未来へ。


2018年4月20日 
片岡フグリ


(了)

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